武田軍を凌いだ断崖の城。
長篠城址の特徴
長篠城は豊川と宇連川の合流地点に位置する断崖の要害です。
長篠の戦いに関連する歴史的な説明板が丁寧に設置されています。
駐車場は無料で、ゆっくりと散策を楽しむことができます。
新城市の長篠の所にある城跡。昔、長篠の戦いで織田\u0026徳川vs武田軍て攻防になった所でもある。道路から見たら鳥居強右衛門の絵が目印になってる。また、鳥居強右衛門と関連してる。昔の城みたいなのはなく、土塁跡やお城があったかなという感じの広場がある。近くには小さな滝や験担ぎの植物がある。
空堀、土塁の跡も残っていました。戦国の戦いの拠点である事が感じられる史跡でした。併設の資料館に当時の様子や資料が展示されており勉強になりました。史跡の直ぐ脇を飯田線の電車が走り抜けて行きました。
▪️とても良いロケーションの城跡です。訪れると、深い渓谷に囲まれた難攻不落の城ということが良く分かりました。▪️長篠城址史跡保存館の入館料は220円、設楽原歴史資料館は330円、セットの両館共通券は440円ですので、セットがお得です。▪️個人的には西に徒歩10分の場所にある中央構造線長篠露頭まで往復歩いて、散策するのがおすすめです。
二回目の訪問です。こじんまりした城跡ですが戦国時代では要となり戦が絶えなかった激戦地ですね。12月11日(日)でしたが、まだ紅葉が楽しめました。史跡保存館では、わかりやすく解説されているので、先に保存館に行く事をお薦めします。設楽原歴史資料館とセットは大人440円とお得です。
日本100名城No.46武田軍の猛攻を凌いだ断崖上の城です✨長篠城は宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた要害堅固な城です。戦国末期、武田氏と徳川氏が争奪を繰り返しました。天正三年(1575)には長篠設楽原の戦いの発端となり、武田勝頼の猛攻を受けましたが、城主の奥平貞昌は城を守りきり、織田·徳川連合軍を勝利に導きました。城郭は主郭(本丸)、野牛曲輪、弾正曲輪などがよく残されています。発掘調査の結果、丸馬出や空堀の存在などがわかっており、中世の「土の城」の築城術を体験できます👍
ツーリング途中の立ち寄りスポットとして来てみました。ちょっと古城と言うか雰囲気だけが昔のままになっているような場所ですね。ロールプレイングゲームのセーブポイントのような雰囲気が漂っていました。
1508年に今川氏配下の菅沼元成によって築かれたと言われています。三河と遠江の境目の城として今川、武田、徳川氏で争奪戦が繰り広げられ、徳川家康が武田信玄の死後に奪取し奥平貞昌を城主とし長篠の戦いを迎えました。長篠城は100名城に選定されていますが、現在の遺構としては主郭部分が見れるのみで物足りなさがありました。よく長篠城の写真で使われる豊川と宇連川の合流地点は長篠城から車で5分程度の牛渕橋から撮影でき、当時の要害感がとても感じられるのでこちらから眺めるのもオススメします!長篠城は100台程度停められる無料駐車場が、あり、レンタサイクルもあるのでここを起点に長篠の戦いの史跡をめぐるのも楽しそうです。
遺構は少なめながら、合戦に関する説明板が丁寧でわかりやすいですね。長篠合戦のぼりまつりのイベントは今年は中止になったみたいですが、のぼりは立ってました。個人的には、史跡めぐりのルート案内板がもっと要所に立っていれば有り難かったです。そもそも自分が方向音痴なのが問題なのですが、途中で諦めて帰ってしまいました😅
芝生の広場になっていて、各武将のデカい旗が飾られてました。後は土塁と空堀位しかありません。保存館にある長篠・設楽原の戦いガイドマップに載っている史跡を巡るのをオススメします。
| 名前 |
長篠城址 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0536-32-0162 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8420,118,664,html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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世に名高い「長篠の戦い」は、武田勝頼がここ長篠城を取り囲んだ事により始まったそうです。織田・徳川連合軍という夢の様なタッグが武田軍を破るという歴史的な大戦のはずですが、その割にはちょっと寂しいスポットな気が····。少々古びた史跡保存館の他は、土塁や堀が遺構として残るのみ。それでもちょっと散策してみると、城址内をJR飯田線が通っているのには驚きました。そうこうする内にガタン、ゴトン····うまい具合に列車が通過して行きました。一番印象に残ったのはこの事かも····。