千曲川ほとりで山本勘助に想いを馳せる。
山本勘助の墓の特徴
千曲川のほとりにひっそりとたたずむ、戦国時代の軍師・山本勘助のお墓です。
松代藩主初代の真田信之の墓も近くにあり、歴史情緒あふれる場所です。
狭い道を進むと、静かな環境で山本勘助の墓前に参拝できます。
手入れされ大切に祀られているのが分かります。遠く信州の地まで随行して命を落とした人がどれだけいたのかと思うと、しみじみ感慨深いものがありますね。概ね西に北アルプス、北には北信五岳が遠くに見えます。当時と山々の稜線は変わらないのでしょうね。
上山田温泉でくつろいでいた私は元来、戦国時代・信長の●望好きでもあったので、いざ川中島へオタク丸出しで古戦場を堪能した私は近くにあるという大軍師・山本勘助先生のお墓への道を検索…ん?…直線距離だと近いが…実際は千曲川を大廻りせねばならない徒歩30分のルートのみ…気温3℃川沿い遮る物はない広々とした田園風景吹きすさぶ強い寒風5度に渡って激突した川中島の戦いにおいてもこんな極寒の2月頭に行軍はしていなかった!さ…寒い…寒過ぎる…しかし、これは勘助先生とまみえるための試練に違いない!ずんずん行軍していくと…な!?千曲川を渡る長〜い橋の歩行者用路側帯が随分細い!10数cm横にズレたら高速走行中のトラックやらバスに激突する!こ…怖過ぎる…高い!怖い!寒い!寒いというより、もはや痛い!涙と鼻水垂れ流し放題で長い橋を渡り切り、静かな田んぼが広がる場所にポツンと案内板…こ…ここか…やっと着いた…勘助先生の墓前で涙が止まらなくなりました個人的にこれから『戦』が始まるので偉大な策を授けてくださるよう祈念して参りました川中島古戦場から行って見てみたい方は私のような愚行をせず、是非タクシーを利用してくださいもしくは暖かい時期に行ってください笑。
大河ドラマ風林火山の主人公、戦国時代に活躍した山本勘助の墓です。江戸時代に元々あった場所から移築されたそうですが、綺麗に整備された史跡でした。武田軍のように渡河をすれば八幡原古戦場まで僅かな距離ですが、渡河をしないなら数キロ迂回する必要があります。大型バイクで行きましたが、住宅街を抜けるにはバイクでもかなり道が狭かったので徒歩がオススメです。
武田信玄公の軍司だった山本勘助の墓は千曲川のほとりに、ひっそりとたたずんでいます。長期戦の川中島の闘いで、上杉謙信に秘策を見破られて命を落としたのは、さも無念だったろう…
松代藩主初代の 真田信之の墓の近くに有り、地理的に車の訪問は避けた方が良いですね。停める場所も無ければ狭い道路が多く運転に自信の無い方は特にです。因みに私はホテルから約2キロの片道を周囲の山々を愛でながら歩きましたが全く疲れを感じませんでした。あの武田信玄の軍師のお墓を目の当たりに出来たのですから。私が歴史に興味を持ち始めた頃には、その存在すら疑われていた山本勘助のお墓です。\(^-^)/更に嬉しい事に割と直ぐ近くに「日ノ本一の兵」と徳川軍に言わしめた真田幸村(信繁)の兄、のお墓まで。感動物です。私の記憶が正しければ妻の小松の方は江戸から帰る途中で今の埼玉県で亡くなり、その時乗っていた輿の実物が上田城に展示されて居ました。早くに妻を亡くし(と言うより信之が長命)2代藩主の息子に先立たれ隠居の此の地で亡くなったようです。是非、勘助のお墓と一緒に訪れて見ては如何でしょうか?
歴史を感じます!大河ドラマで山本勘助好きになりました!
戦国参謀として以前から尊敬している方の墓前に参拝でき感無量。
千曲川の堤防道路を沿いの河川敷内にありました。駐車所などは無く徒歩での訪問になりましたが大河ドラマで取り上げられてからずっと気になっていたのでようやく訪れることが出来ました。地域の皆様に大切にされていると思われるお墓は綺麗にされていました。
今では実在していなかったと言われる山本勘助さん…真実はどうなんだろう?このお墓を見ると勘助さんは『実在した❗️』と思いたい今日この頃なのです。
名前 |
山本勘助の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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凄く細い道をずっと歩いていくと広い川辺にたどり着きます。そこからちょっと下ったところに、信玄公の軍師として有名な山本勘助のお墓があります。川中島の戦いで自ら進言した啄木鳥戦法が謙信に見破られてしまい、激戦の末、戦死していまいました。周囲は山々がキレイで景色も最高にいいです。