山本勘助伝承の地、胴合い橋。
胴合橋(史跡)の特徴
討ち死にした山本勘助にまつわる場所です。
1561年の川中島合戦の伝承が残っています。
信濃風林火山シリーズとの関連があります。
山本勘助の首と胴をつなげた場所だとか。橋の近くに解説の石碑があります。おやきファームのすぐ隣にあるので、おやきファームと共に行くと良いかと。
戦で討ち死にした山本勘助の胴と首を繋ぎ合わせ、橋のたもとに手厚く葬った場所だそうです。
周囲を工事中、工事範囲内になっており土手の方から回り込みました。本当に小さい橋ですが、しっかりとした石碑が建っています。
討ち死にした山本勘助の首を家来が取り戻し洗っていると、見覚えのある甲冑を着た胴体が流れ着いた。首と合わせて見るとピッタリ一致したのがこの場所と言われる。
山本勘助の伝承が残る橋。
1561年の第四次川中島合戦で討ち死にした山本勘助にまつわる伝承の残る場所です。勘助配下の兵が交戦した上杉軍の部隊から首を奪還してきたもののどの首も損傷が激しくどれが勘助のものかわからなかったそうです。そのため、この場所で勘助の胴と取り戻してきた首を一つずつ合わせて勘助の首を特定したとのことです。胴合橋は、おぎのや長野店と信州蔵そば長野店との境目にありますが、はりまや橋もびっくりの小橋です。過度の期待はしない方が良いです。
川中島合戦で討ち死にした山本勘助の首を上杉方から奪い返した際にこの辺りで洗っていたら胴体が流れ付いたため、違首と胴を合わせたと伝承に由来する名前の橋がある。
信濃風林火山シリーズ。山本勘助が川中島の戦いにおいて、泥木明神付近で闘死した後、10人程の家来達が敗走する上杉軍を追跡し、数ある首を奪い返し、主君の胴体と首をひとつずつあわせて確認したのが、この橋であると伝えられています。
名前 |
胴合橋(史跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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何時もお世話になっている松代に住まわれている先輩と久し振りに松代で蕎麦をゴチになりました😋その時先輩から、武田信玄の軍師「山本勘助」が川中島の戦いで戦死した時、勘助の家来が首を敵軍から奪い取り、その首と胴を合わせた場所「胴合い橋(どあいばし)」を知ってるか?と言われ、『なんですか?それ?』😰と返すと、「すぐ近くにあるから行こう!」と言う事で連れて行ってもらいました😂本当に知らなかったですね~😅石碑も建てられ綺麗に整備されていました。その当時はどんな風景だったのか想像すると、な~んか、不思議な気分になっちゃいました🤔綺麗に整備することも大事な事だと思いますが、あえて整備せず、当時の風景に再現して見るのも面白いかな〜🤭なんて思っちゃいました🤗先輩❗ありがとうございました🤗