松代地下壕を見学しよう!
気象庁地震観測所 地震観測施設(旧松代舞鶴山地下壕)の特徴
昭和天皇の疎開先に作られた歴史的な施設です。
松代群発地震の観測所として有名な場所です。
昔の松代地下壕跡を活かした地震観測施設となっています。
入口の前までは勝手に行って見学しても大丈夫です。なかは関係者すらでもなかなか入れないです。道を進むと観測所の建物と天皇陛下の御座所があり、簡素は平日に御座所は曜日関係なく表から中を見ることは可能です。
気象庁地震観測室は松代地下大本営跡にある施設です。第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最期の拠点として、極秘で大本営軍司令部 参謀本部 政府各省等を松代に移す計画で終戦までの約9ヶ月の間に2億円の巨費と、のべ300万人が労働者として動員され地下壕がつくられました。長野県埴科郡松代町(現長野市)付近で1965年(昭和40年)8月3日から約5年半の長期間にわたる松代群発地震が発生 しました。気象庁が機器の設置を求めると当初は防衛庁は難色を示したと聞いてます。大本営が避難準備をしていたことが周知されると考えたからです。しかし、深刻な地震が続き観測が開始されました。この松代地下大本営跡で各種の観測と研究が行われた結果、日本の地震予知研究は大きく進歩しました。太平洋プレートがもたらしたと考えられる深さ数~数十kmの帯水層に存在する高圧の地下水よる岩盤の破壊が長期間・連鎖的に起こったことで長期にわたる群発地震が生じたと考えられています。現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計はじめ各種高性能観測機が稼働しています。なお若干個人的見解も入っています。
入口のみ見学可能。駐車場は川の手前にあります。
象山の地下濠に続いて初めて伺いました。大本営だったとのことですが、時の軍部は往生際が悪かったんですね。過去の負の戦争遺産は今や地震観測をしているのですね。役に立っているならいい遺産になるかもですね。今日は梅が咲き始めうららかな小春日和です。
大戦末期昭和天皇をこの地へ疎開させようと作られた建物。つい最近まで地震観測所の施設として使用されており、天皇陛下が住まわれるであろう部屋が、外から見学できました。
三方向を高い山に囲まれた袋小路のような場所にありました。現在なにに活用されているかは写真にあります解説掲示板をご覧ください。5台程度は止められるであろうほどの広さの無料の駐車場が直ぐ近くにあります。こんな人里離れた?街の外れに国家の中枢を移そうと計画していたことに心の底から驚き、そして戦争の悲惨さを知りました。
舞鶴山地下壕の跡地であり現在は地震観測施設として用いられています.遺跡は,入り口だけが残っています.入ることはできません.一目見たら,奥の天皇御座所に足を延ばすと良いでしょう.
朝鮮人労働者を控え背面(原文)조선인 노동자들을 삼가 위로합니다
松代大本営の跡です。
名前 |
気象庁地震観測所 地震観測施設(旧松代舞鶴山地下壕) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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駐車場から見える場所です。象山地下壕を出て川沿いの道路をひたすら歩いて20分くらいの距離でした。駐車場があるなんて知らなかったので徒歩という手段を取りましたが、なかなかの道なりだったと思いました。太平洋戦争の末期、象山地下壕は政府の最高機関を移す場所だったのですがこの舞鶴山地下壕は天皇陛下を疎開させるために造られた場所でした。現在は気象庁が地震の観測をするための施設としています。こちらもかなり複雑に通路が造られていることがわかりました。