城跡公園で歴史を感じる!
吉岡城址の特徴
駐車スペースを完備した本丸の公園があります。
151号からすぐ、下条氏の居城跡が魅力的です。
立派な説明板の石碑や堀切が見どころです。
2022年10月23日行って来ました。行き方Googleナビで吉岡城跡にセットすると行けます。専用駐車場駐車場有りです。舗装はされてませんが車は停める事が出来ます。感想は手軽に観れて行ける城跡ですかね。今は公園になっています。歴史背景ここからネット引用です。小笠原氏から康氏を養子に迎えた下条氏が、1475(文明7)年築城して居城を大沢城から移した。主郭・二の郭・殿郭・出郭からなる連郭式の平山城であり、南の沢・北の沢により画されている。下条氏は1584(天正12)年頼安が小笠原信嶺に騙し討ちされると急速に勢力が衰え、陣中での失火が元で1587(天正15)年改易となり、廃城となった。
下伊郡南西部を制覇した下條氏の平山城遺構:郭,堀城主:下條氏歴史:文明7年(1475年)下条康氏によって築かれたと云われる。 下条氏は小笠原氏の庶流で初代瀬氏から五代続いたが断絶、小笠原政康の子康氏がその家督を継いで六代となり、大沢から吉岡の地に居城を移したのが吉岡城の始まりとされる。その後、下条氏が代々続いたが天正15年(1587年)に改易とり没落した。説明:吉岡城は南の沢川と牛ヶ爪川との間にある台地に築かれている。現在主郭部分が吉岡城趾公園となっている。吉岡城は川に沿って東西に伸びた台地にあり、南北の空堀で区画していたという。東端から一の門、枡形、二の門、二郭などがあったが、この辺りは宅地や畑となっている。吉岡城遺構:郭,堀城主:下条氏歴史:文明7年(1475年)下条康氏によって築かれたと云われる。 下条氏は小笠原氏の庶流で初代瀬氏から五代続いたが断絶、小笠原政康の子康氏がその家督を継いで六代となり、大沢から吉岡の地に居城を移したのが吉岡城の始まりとされる。その後、下条氏が代々続いたが天正15年(1587年)に改易とり没落した。説明:吉岡城は南の沢川と牛ヶ爪川との間にある台地に築かれている。現在主郭部分が吉岡城趾公園となっている。吉岡城は川に沿って東西に伸びた台地にあり、南北の空堀で区画していたという。東端から一の門、枡形、二の門、二郭などがあったが、この辺りは宅地や畑となっている。
小笠原氏庶流下條氏の居城。武田氏の信濃侵攻により配下となり信濃先方衆として活躍。城跡は本丸が公園、その他は宅地と化している。所々に城の痕跡が残る。本丸裏の堀切が見所。
いわゆる城跡です。本丸跡はゲートボール場及び児童公園になっています。城壁、櫓は現存せず、石垣もほぼ残っていません。但し、城郭については設置されている案内石碑を元に街歩きをすればなんとなーく感じ取れる具合です。尚、吉岡城としての御城印、お土産等はございません。
151号からすぐのところにある城跡公園です。下條村にあります。信濃から三河にぬける地域の抑えとして重要な地点にあったことが想像されます。
標高525m国道でまっっぷたつ(-o-;)主郭は公園、出曲輪は神社で間にナカナカの規模の堀切がある♪説明板の石碑がすごく立派(^o^ゞ二曲輪は桝形と鍵折れが残る。三曲輪には大手門があったらしい馬場跡は畑、南側には腰堀跡が♪旧遠州街道沿いで台地に築かれて 散策にちょーど良さげな城跡だったよんヽ(^。^)ノ。
下条氏の本拠地。いずれ周辺の残存遺構の確認に訪れたい。
名前 |
吉岡城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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本丸の公園に駐車スペースがあります。堀切や土塁には表示がありませんので、縄張り図を見てから周辺を歩くと楽しいと思います。