永井博士の軌跡を辿る。
如己堂の特徴
永井隆博士が晩年を過ごした、病室兼書斎のある場所です。
原爆関連の歴史を感じることができる貴重な博物館です。
住宅街に佇む小さな木屋で、静かな雰囲気が魅力的です。
己の如く人を愛せよそれが如己堂の名前の由来だとか。永井博士が過ごした2畳ほどの小さな家です。本当に小さくて驚きました。永井博士の記念館の外にあります。ここに来て、今の世界の状況をいろいろ思ってしまいました。ウクライナのこととかアフガニスタンのこととか。記念館にも是非入場することをお薦めしたいです。(入場料100円です)永井博士の生涯がまとまられています。また著作も販売されています。
長崎の父永井隆博士。長崎原爆投下時に自らも負った大怪我を顧みず、被曝患者を診察し続けた。如己堂は永井博士を心配した浦上の人々やカトリック教会の協力によって立てられたもの。ここで亡くなるまでの3年間療養生活を送っている。室内がガラス越しに公開されており質素そのものの部屋であるが、永井博士はこの建物で生活できることを心からありがたく思っていたという。被曝史跡ではないが永井博士の生き様を感じられる有り難い場所である。
原爆で家族も自らも被災しながら被爆者救護に尽力を尽くして亡くなっていった永井隆博士の病室兼書斎。地域の方が衰弱していく彼のために建てた2畳ほどの家。
永井隆と言う人間はキリスト者、特にカトリックの間では列福されてもいいんじゃないかと言う位の扱いらしい。こちらの建物は実際の書斎兼治療所兼住居跡だが二畳のスペースでよくもまあ…と思わざるはいられない。器材、薬剤があったとしても今日の医療水準では放射線障害に対して行えることはたかが知れているが…さて、こちらに隣接している博物館では氏の遺品や氏の遺したメッセージを閲覧する事が出来る。その中に「長崎は贖罪の為に選ばれた」と言うものがあるが、よくぞそれを言えたものよ…と器の大きさと度胸に関心した。今日で言えば大炎上では済まないだろう。また、自身の命が残り少ない事がわかった時に「これは原爆病(放射線障害)を研究するチャンスだ」と述べたそうだが、その発想には恐れ入る。個人的には彼の採血データが残っていたのが興味深い。白血球の異常増殖はうなずけたが貧血になっておらず何故だ?と思ったところ、白血病の既往があり鉄剤を服用していたからだそうだ…成る程…
永井博士の生涯がコンパクトにまとめられ、凄く感激しました!浦上天主堂の近くなので、是非訪れて欲しい!運営大変と思うけど、100円の入場券で先生の気持ちが、十分伝わります!!!
永井隆博士の病室兼書斎です。自らも原爆に被災しながら被爆者の救護にも尽力を尽くされた方で原爆資料館にも功績が語られています。晩年はここで過ごされたようですが地域の方の協力により建物が建てられたそうですが2畳ほどしかなく布団を敷くスペースしか無かったと思います。隣には永井隆記念館もありました。
ありのまま、子供たちが元気に遊ぶ長崎を永井隆博士は残していただきました。ありがとうございます。
永井隆博士が、被爆後この如己堂で被爆者の診察・診療にあたりました。
小学生の頃、修学旅行で来ました。あまりの小さな建物に驚きました。ですがその小さな建物からは大きなオーラを感じられました。長崎を訪れたなら是非一度、訪れた方がいい場所です。
名前 |
如己堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
095-844-3496 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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今回の旅行はここがメインでしたもちろん隣の記念館も長崎と広島とアウシュビッツがわたしのバケットリストここが永井博士の元自宅場所だとか どんな気持ちで如己堂を建て二人の子供と最後を過ごしたのか?もしかしたらそれが博士のバケットリストではなかったか?長男長女おふたりとも亡くなっているとか冥福を祈らずにはいられません永井博士ありがとうございました 天国で家庭団らんを。