平和公園近くの防空壕跡。
平和公園 松山町防空壕群跡の特徴
平和公園エスカレーター横にある防空壕跡が見学可能です。
原爆の爆心地から180メートルの至近距離にあり、生存者の歴史を伝えています。
徒歩圏内には平和公園や爆心地公園もあり、セット訪問に最適なスポットです。
■原子爆弾の爆心地から180メートルの至近距離にありながら、防空壕に生存者がいたことを伝える衝撃的な史跡です。防空壕の出入り口は、爆心方向に向かって開口していたのですから、なおさら驚きです。■爆心地から半径500メートル以内の地上では、コンクリート建築物の内部であっても、爆風と熱線で人々は、死に絶えています。無事な人は一人もいませんでした。■ところが、未完成の防空壕で構築作業をしていた人たちは生存していたのです。爆風と衝撃波が直撃した入口付近にいた2人でさえ負傷したものの生存していました。そして防空壕奥から右側に掘り進んでいた作業者たちは、全員無傷で助かっています。■爆心地から180メートルの至近距離で、出入り口には遮蔽物さえなく、爆心地方向に開口した防空壕で助かった点について、調査に訪れたアメリカ軍は、生存者から詳細に聞き取りして、核戦争に備える自国の核シェルターの設計に活かしたといいます。■専守防衛を標ぼうしている我が国こそ、この防空壕に学ぶべきです。防衛をうたいながら核シェルターが満足にない国は、周辺諸国の中で、日本だけです。防衛訓練すらろくに行われていません。核戦争が起きると、シェルターをかなり備えているロシア、中国、北朝鮮、韓国の人々は生存し、日本人だけが死にます。■強固なコンクリート構造物を作るよりも安価な、山腹の横穴でもいい。核戦争やミサイル攻撃に対応できるシェルターを、この防空壕の教訓から学び、地方自治体の主導で(政府は直接やらないそうなので)各地に構築してほしいです。■修学旅行の学生に対して、説明者は、「このような防空壕を造らなくてもすむ平和な世界を守りましょう」という趣旨で、しめくくっていましたが、そんな趣旨では意味がありません。■凶暴な核保有国の隣国が、ロシア、中国、北朝鮮と3つもある我が国にとって、ミサイル攻撃や核攻撃から身を守る防空壕の必要性を訴える史跡として、教訓を現代に活かしてほしいと思います。
原爆の投下地点から数百メートルしか離れていなかったが 防空壕で助かった人もいたようです。昭和末期の頃はこのような防空後も残っていましたが 今では貴重なものとなっています。思ったより入り口が小さく、外からの被害を最大限に食い止めるための工夫がされていたと思われます。
平和公園を正面からではなく原爆地層の方向から回りこんで入ったため偶然発見。でも、長崎に来て一番の感銘になりました。「爆心直下で生存者がいた」。防空壕が核シェルターになったんですね。奇しくも広島の爆心直下(現レストハウス)で生存された方もその時、地下室で作業しておられたとか。
こんな街中で防空壕が見れるとは思いませんでした。
エスカレーターの横の道を少し進むとあります。まさか、戦争時の防空壕を間近で見ることができると思っていなかったので貴重な経験になりました。
平和公園へ上がるエスカレーター脇にある戦争時の防空壕跡です。原爆投下時にたまたま防空壕の中にいた方は助かったそうです。
防空壕を初めて見ました。戦争は絶対ダメたと改めて思いました。
平和公園のエスカレーター乗り場から右手の方に小さな穴が4ヶ所あります。大人だとほふく前進して入らないといけないような小さな穴です。言われないと見落しそうなところにあります。戦争の頃はどれくらいの穴の大きさがあったかどうかは今はわかりませんが、爆心地の直下で命からがら防空壕に入った人々も重症な火傷やケガで助かった人はほとんどいなかったとのことです。
原爆資料館、浦上天主堂跡、平和公園、爆心地を巡りました。沖縄、広島、長崎を巡りあらためて戦争の悲惨さと平和の貴さを心に刻みました。
| 名前 |
平和公園 松山町防空壕群跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
095-844-1231 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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平和公園エスカレータ横、見学できます。壕内入れません。