長崎の国際電信発祥地、歴史を感じて!
国際電信発祥の地の特徴
ANAクラウンプラザの正面に位置する国際電信発祥の地があります。
長崎電信創業の歴史が感じられる碑が設置されています。
デンマークの大北電信会社との関連がある重要な史跡です。
こんな所に超歴史的な石碑があるとは今から150年前に既に上海と長崎との国際連絡が出来ていたのが驚きやはり昔から長崎は国際都市だったんだなと感じました。
グラバーヒルの敷地内にありました〜色んな石碑と案内板が並んでました。
法政の史学科在籍時、長崎の親友が大学の懸賞論文で賞を取った。明治黎明期の電信事業に関する論文である。この碑が論文作成のきっかけになったらしい。そんな事を聞いていたので長崎に行った折、この碑を見に行った。気にとめなければ素通りしてしまうような碑である。古写真一枚からでも論文を書けると揚々と述べていた彼の言葉を思い出した。友人は病気で亡くなり今はいない。この碑を見ると史料収集のために神奈川や北陸へと走りまわっていたかつての親友の姿を思い出す。
長崎電信創業の地と国際電信発祥の地の碑がANAクラウンプラザの正面の柵の中に建てられていました。明治4年(1871年)長崎と上海間、長崎とウラジオストック間にデンマークの大北電信会社により、海底電信線が開通しました。この地にはベルビューホテルがあり、明治初年にその中に長崎電信局が開設されました。明治6年(1873年)ここから九州で最初の電報の国内電報と、国際電報の取り扱いもされたそうです。
とりたてて訪れるほどのものではないが、通りがかりに目にする。
デンマークの大北電信会社と国内電信網との交換局です。
| 名前 |
国際電信発祥の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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寂しく建っていました。発祥の地の割に寂しい佇まいでした。なかなか気付かずにスルーしてしまいそうです。