瑞穂町の古刹、心洗うお寺。
福正寺の特徴
小高い場所から眺める富士山と丹沢の絶景が広がります。
圓福寺との歴史的なつながりを持つ古刹であり、1318年開山の由緒ある寺院です。
壮大な随神門や樹木がうまく管理された境内で心を洗える静けさがあります。
*追記が一番下に有り。東京都下の西多摩郡は瑞穂町に有る古刹「福正寺」です。またこの古刹の有る場所は、戦国時代には村山【土佐守】という武将の山城「村山城」の指定地となっています。村山【土佐守】という武将の先祖は、古くは武蔵七党という武士団の中の一つの、村山党の棟梁ですかね。平頼任(たいらのよりとう)という武将の後裔との事です。なので本姓は桓武平氏の平良文流とのことです。平安鎌倉期に村山庄(荘)を所領とした事で平氏から村山氏と名乗り始めたとの事なので、恐らくは平安鎌倉期から村山氏は村山城という山城を有していたのでしょう。戦国時代の村山【土佐守】は(村山氏は)小田原北条氏の家臣だったとか。福正寺の創建年は文禄二年(1318)鎌倉時代の後期で約700年の歴史です。山門も素晴らしいですし、観音堂も素晴らしいですし、小さ目ながら大好きな五重塔なども有ります。因みに観音堂は瑞穂町の有形文化財で、総ヒノキ造りです。総ヒノキ造りは結構珍しいとの事です。そしてこの観音堂の天井には美しい龍の絵が描かれています。また、観音堂からは非常に眺めの良い景色が広がります。寺には樹齢約700年の貝多羅樹(ばいたらじゅ)という古木も有ります。多分、寺の創建年に植樹された物でしょうかね。かなり良い雰囲気の古刹でビックリです。見に来る価値は有ると思いますよ。是非にブラリと訪れてみて下さい。自分の評価は星5つです。【追記】村山氏を武蔵七党の中の「横山党」の出自とレビュー書き間違いしていましたが、正確には武蔵七党の中の「村山党」の間違いでした。因みに寺の南側の玉林寺公園の横には「村山【土佐守】銅像」と説明書が有りますよ。
細い道を昇った上に駐車場とお墓があるのですが、途中にお寺の人たちの駐車場があり、狭いのに大きな車が沢山止まっており、とてもとてもとても不便です。すれ違いがあると、大体の方は慣れてるので何とかはなりますが、かなり面倒です。また新たにお墓を作る際に石屋が指定されますが、ご住職の妹さんです。今から考えられている方にはオススメしません。ただ、お話上手で人柄は良いように思います。
小高い場所に位置し、お墓からはとても良い景色が拡がります。また、お寺もとても立派で、よく手入れされています。お寺からお墓まではかなり急な坂になっていますので、お年寄りはお墓のすぐ近くまで車で上がった方が良いです。
狭山三十三観音霊場結構細い道の、入り組んだ道なので車は注意です。境内はとても綺麗に手入れされ、気持ちよくお参りが出来ました🎵
瑞穂でも一番古いお寺の様子下にある圓福寺はここから分かれたらしい境内から富士山や丹沢 大山が良く見える上に登ると六道山にでるなんとも仏教的なロケーションでしょう臨済宗は禅を重んじる座して目を閉じて心を空に急がないと眠ってしまう禅は急げ💨
このお寺は、妻のお墓がある場所です。山の上に有って街が一望できる。サクラの木も、沢山あります。
非常に良く樹木が管理されていて気持ちの良いお寺さん。だいぶ樹木が傷んで来ているのか、本堂前のタラヨウも観音堂脇のサクラも枯れ下ってきている。ケヤキも腐朽が進んでおり、ちょっと心配。それでも管理されている方がしっかりやって下っておられるのがよく分かる。臨済宗建長寺派。最上部からの見晴らしも良く、また来たい。
福正寺は、天照林和尚が天台宗寺院として創建、通翁鏡円禅師(普照大光国師、正中元年1324年寂)を勧請、臨済宗寺院に改めて文禄2年(1318)開山したといいます。八世雲峰和尚は正眼寺を、九世梅室和尚は円福寺を、十四世東林和尚は砂川流泉寺を開山するなど、地域に末寺を擁し、江戸時代には寺領10石の御朱印状を拝領していたといいます。
静かで心の落ち着く所でした。
名前 |
福正寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-557-0650 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

小綺麗な澄んだ空気感のあるお寺でした。