歴史の影を感じる、首里の秘壕!
第32軍司令部壕の特徴
第32軍司令部壕は沖縄戦の貴重な戦跡です。
首里城の地下にひっそりと残る壕群を体験できます。
周囲の案内が少なく、探しにくい隠された歴史スポットです。
長野の松代地下壕は規模が大きい。こちらは天皇を避難させる目的だった。丘の地形でないと壕は作れないから第一に選ばれたのか。
第32軍司令部壕の入口。以前は砂利道だったのが舗装されてました。
大東亜戦争の戦跡めぐり首里城にあった第32軍司令部壕です。2024/2現在は、大規模な調査が行われていました。
守礼門から入り真っ直ぐ進み、1枚目の写真の場所で左に曲がり階段を降りた左手にあります。内部を伺うことはできませんがこの首里城の下に司令部壕がありました。整備されて見学できるようになり戦争の現実を語る場所になればいいなと思います。
戦時下に住民総動員で首里城の地下に作られた司令部壕(ここは第2坑口跡)です。守礼門を過ぎて左手に少し下った林の中にあります。坑口は第5まであり、南北に延びて総延長は約1km、深さは約30mあります。そのため米軍の攻撃目標となり、鉄の暴風とよばれる凄まじい艦砲射撃により首里城は歴史上、4度目の焼失となりました。首里城の令和の復元に合わせて、整備・公開の機運が高まっていますが、崩落の危険があり、これまで一般公開はされてきませんでした。とりあえず第1坑口の公開を目指していますが、現況調査などにも多額の費用がかかる見通しです。写真は5年前のものですが、今は舗装されています。
夕暮れ時でしたので、真っ暗。御嶽の近くに壕が、分かりませんでしたね。
戦争遺産凄くわかり辛い案内も少ない。
沖縄戦で陸軍が最後に拠点とした洞窟です。崩落等で危険なので立入禁止です。司令官の牛島満大将が自決した場所です。
まるで存在を隠したがっているかの様にひっそりと鳴りを潜めている壕である。2022年11月現在は至近距離で工事を行っているので、正確には守礼門を通り抜け首里城に向かう順路と分岐する道の脇道階段を下りた所に位置するので、尚更、そこにこれが存在している事を予め認識しておかねば、その道を歩く事は無いだろう。2019年の首里城消失で修復工事中であるが、その下に位置する当該壕については何も聞こえてこない。何か理由があるからだろうが、何にせよ、この地で亡くなった数多くの方々の為にも整備し祀る必要があると考える。
| 名前 |
第32軍司令部壕 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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第32軍司令部壕は、第2次世界大戦中に大日本帝国陸軍によってアメリカ軍による沖縄侵攻に備えるために首里城の地下に作られた壕群です。工事が始まったのは1944年12月で、1945年3月に沖縄戦が始まる直前まで続きました。司令部は、5月末に日本軍が島の南部に後退するまで、約1ヶ月間使われました。