歴史を感じる南山城跡で、静かな時間を!
南山城跡の特徴
南山城跡は琉球三山時代に栄えた歴史的な城跡です。
街中に位置しているため気軽に訪れやすいスポットです。
組み石や外壁が残り、昔の面影を感じることができます。
高嶺小学校内にある城跡だった様で、向かいに資料館も有り、一般で入館出来ない感じでしたが、歴史に興味ある人には良い場所だと思います。
お城巡りと散歩小学校に隣接している場所静かな場所でした。過去はどうあれ、今は癒されました。
南山王の居城跡。小学校の校庭の中にあります。北山の今帰仁城、中山の浦添城と比べると少し寂しい感じです。
直ぐとなりが小学校、生徒は体育授業中。
南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。一九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。南山の東方には水量豊な「カデシガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」があります。-案内板より。
かつて南山の国王承察度(数代で同じ名を襲名したと考えられる。) 、汪応祖、達勃期、他魯毎 ]が住んでいた王城としての栄華を偲ばせるものはなく、中山の王城「浦添城」、北山の王城「今帰仁城」に比べて整備はされていない。切石積みの石垣と門があるがこれは戦前に築かれたものであり、鳥居と神殿といった南山神社も同じく戦前に作られたものであり皇民化政策のなごりである。また、隣接する高嶺小学校は昔、南山城の敷地であったという。近くの嘉手志川もおすすめである。
名の通り南山を治めていた王の居城。以外と敷地が広い。
南山時代の居城跡。
街中にある城跡。
名前 |
南山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-840-8111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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歴史を感じさせる場所です。近くの中学生たちが定期的に清掃をしているのでしょう。綺麗ですね。ただ、なぜ鳥居があるのか分からない。承察渡や汪応祖また他魯海が支配していた頃からありますかね。できるだけ往年の姿に近づけてもらいたい。