伊江島で感じる戦争の爪痕。
公益質屋跡の特徴
伊江島に唯一残された戦争跡で、激しい戦闘の爪痕を目の当たりにできます。
公益質屋跡は、戦争の悲劇を後世に伝える貴重な史跡として重要な存在です。
生々しい弾痕や砲弾の跡が残り、沖縄戦の激しさを体感できる特別な場所です。
駐車場所は公益質屋跡の隣の建物の駐車場を使いました。
第2次世界大戦で日本軍は壊滅し住民を含めて推定3500人が犠牲となりました。米軍の攻撃を受けて村の建物はことごとく焼き払われ、かろうじて原形をとどめていた公益質屋1929年に政府の融資を受けて設立された村営の金融機関でありましたが当時は世界大恐慌期で村財政や村民の生活も苦しかった時代であったため、高利貸の暴利に泣く貧民を救う福祉施設であった。戦前のコンクリート建造物の研究でも注目されているようですただ内側の補修はかなりされているので中に入っても安全です。
戦争の爪痕を目の当たりにして、ゾットしました~どれだけ恐怖だったのか、後世に残して欲しいですね。
2022.07.06沖縄戦での激戦地だった伊江島。島中の建築物の中で原形を留めているのは、この公益質屋だけらしい。それでもコンクリートには穴があき、無数の銃弾の痕も残っている。想像を絶する状態だ。平和を祈らずにはいれない。
見ても何やわからへん。来る価値が見い出せなかったのは俺だけじゃ無いはず。
大切な記憶の場所です。
伊江島 公益質屋跡唯一島に残された戦争跡のある建物。
米軍の攻撃を受けて伊江村の建物はことごとく焼き払われ、かろうじて原形をとどめていたのがこの公益質屋の建物です。同施設は1929年に政府の融資を受けて設立された村営の金融機関でありましたが、当時は世界大恐慌期で村財政や村民の生活も苦しかった時代であったため、高利貸の暴利に泣く貧民を救う福祉施設であった。同施設は戦前のコンクリート建造物の研究でも注目されています。
2019年1月27日 伊江島の戦争遺構。
名前 |
公益質屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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戦時中伊江島には当時東洋一と言われた飛行場があったのでその攻防でこの辺りは激戦地になったそうです。沖縄各地に銃撃の跡が残る壁や石碑はありますが、建物がそのまま残されているのはほとんどないと思うので後世に残してもらいたいです。