函館に赤い靴の少女像。
赤い靴の少女像「きみちゃんの像」の特徴
童謡赤い靴のモデルである岩崎きみちゃんの像があります。
靴だけ赤く、寂しそうな姿が印象的な少女像です。
近くに新島襄の像がある意外なロケーションです。
泊まったホテルの目の前にありました。横浜育ちなので函館にも赤い靴の女の子の像があることに親近感がわきました。モデルになった女の子は実際には海を渡ることなく幼くして病気で亡くなられたそうです。母娘が別れたのが函館の地と言われてるのだとか。歌の中ではせめて異国の地で幸せになってほしい…という願いを感じる切ない歌なのですね。
童謡『赤い靴〜🎵』のモデルの像。脇に説明が書かれた石碑も。海をバックに写真が映えます。
童謡「赤い靴」のモデルになった女の子(きみちゃん)ですが実在していた様です。しかし、実際にはきみちゃんは不治の病に冒されており外国に渡ることなく麻布十番の孤児院で生涯を閉じたそうです。
なんか淋しいところにあるね。いつも車で通るから気がつかなかった。まさか函館にあるとは。横浜とかのイメージだったが。最後亡くなった麻布にもなかった?
童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像。2009年、母と別れた地といわれる函館に設置される。
近くに 新島襄 の像があってびっくり。
通り掛かった時に見つけました👍周りにもっと花壇とか作ってあげれば良いのに🤔
一人ぼっちで寂しそう。
拝見したら寂しそう⤵️。ただ年月を重ねているので、きみちゃんが健気にも見えて頭を撫でてあげたくなる✌️。どうしてきみちゃんなのか?、調べてみた。当時北海道新聞、朝日新聞などで取り上げられている。童謡「赤い靴」のモデルとされている少女「きみちゃん」は岩崎きみちゃん(1902年~1911年)が、函館に未婚の母親かよさんに連れられて、静岡県から移り住んだ地である。その後母親は、農場に入植の為留寿都村にはいる。しかし病弱であったきみちゃんは、アメリカ人の宣教師に預けられた。この函館が二人の別れの地になったと共に掲載されていたのだ👌。函館の赤い靴の像は「市民団体の函館赤い靴の会」が、親子の絆を大切さを伝えるべく、2009年8月に設置されたのだ。赤い靴の少女像は、全体的には黄土色で、靴は赤をくなっている。近くには童謡の「赤い靴」の歌詞が刻まれている歌碑も建てられている。赤い靴以外も洋服等もカラーリングして、いつまでも保存するのも、良いのではないかと感じた。また道内では、赤い靴の女の子の像は、留寿都村、小樽市にも建立されている。
| 名前 |
赤い靴の少女像「きみちゃんの像」 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0138-26-3753 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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童謡「赤い靴」のモデルになった岩崎きみちゃんがここの函館で母かよさんと別れたそうです。きみちゃんは宣教師の米国人夫婦に引き取られて行きました。ここの場所にきみちゃん像があるのは、母かよさんと別れた場所だからだそうです。