志波彦神社の旧地で歴史を感じる。
冠川神社(志波彦神社 旧社地)の特徴
塩竃神社十四末社の冠川明神がある神社です。
延喜式神名帳にも名を刻む神社の旧地です。
隣接する志波彦神社との関係も魅力的です。
鹽竈神社を訪問した際、同一境内に鎮座する志波彦神社の旧社地も行きたかったのですが時間がなくて断念しました。志波彦神社は延喜式の名神大社、一方鹽竈神社は地方の名社ですが式外社(ただし主税式に祭祀料一万束とある)であったことなどから明治4年の新制で国幣中社に列格したのは志波彦神社の方でした。ところが現地を確認すると当社は八坂神社境内の小祠に衰微しており官祭執祭は到底不可能な現状であったためやむなく明治6年鹽竈神社も国幣中社に列格させたうえで冠川神社(志波彦神社)を鹽竈神社境内に新社殿を建てて御遷りいただくこととしました。現地調査を怠り文献のみで列格を急いだ政府の失策ですが、似たような例は射水神社、忌部神社、速谷神社、沼名前神社、丹生川上神社、角避彦神社等各地で発生しています。
延喜式神名帳の陸奥國宮城郡の項に記載のある志波彦神社(名神大社)の旧地の神社。志波彦神社は明治7年に塩竈市の鹽竈神社に遷されたが、元々はこの場所にありました。現在は八坂神社境内社ですが、明治10年に志波彦神社から逆に分霊して志波彦神社の摂社となっています。境内の案内によると、天正年間に火災で縁起を焼失、いつの頃からか衰退していたが、延宝三年(1675)に小さな祠が再建された。明治になって国幣中社になったが、境内が狭く社殿が造営できないために鹽竈神社に遷座したといいます。
鹽竈神社の隣にある志波彦神社は、もともとはこの辺りにあったそうな。
名前 |
冠川神社(志波彦神社 旧社地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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塩竃神社十四末社の一、冠川明神です。古代多賀城の東西南北の護りの西宮です。