歴史感じる芭蕉の辻ランチ。
芭蕉の辻(仙台城 城下町の中心交差点)の特徴
ランチプレートのボリュームは満点、さらにヘイジーIPAも楽しめるお店です。
江戸時代の仙台城下町の中心、歴史を感じられるスポットです。
津軽と江戸を結ぶ街道の交差点に位置し、街の基点としての由緒があります。
ここ芭蕉の辻を訪れたのは、そろそろ夕方…というくらいの陽射しでしたが、まだ午後3時前でした。仙台の12月初旬の日没は午後4時17分となっているためか午後5時前には暗くなってしまうし、国分町のネオンがチラチラ灯るし、焼肉?牛タン?の香りが漂ってくるし…なんとも落ち着きません。芭蕉の辻と松尾芭蕉とは直接縁があるわけではないそうです。が…松尾芭蕉は旧暦5月4日(今なら6月20日)に、へとへとで仙台へ着いたそうです。この日は白石から仙台まで約50km、朝7時半頃出発して、この辻の北側辺りにあった「大崎庄左衛門」宅へ着いたのは夕方6時半頃だったようです。芭蕉45歳。人生50年のこの時代、本当にお疲れ様でした。
この辻は有名だが、向かい側に 二十四番があることはほぼ知られていないようです江戸時代の仙台の街中は今からすればさぞ難儀な町割りだったでしょう。(戦争時に空襲で焼けた街を再興するに際し、今のようにしたとか)
かつて城下町仙台の中心、仙台城大手から東へ来る大町、南北に通る奥州街道の交差点です。今は石碑が立つのみでかつての趣はありませんが、四つ角に建っていた建物の屋根の飾り?の龍のミニチュアが乗ってます。
現在松尾芭蕉の本を、読んでいます。仙台市は、夜駅前をちょっとだけ、うろついたことがあるだけです。松尾芭蕉が生きた時代より、80年も前に伊達政宗が、召し抱えていた隠密の、虚無僧芭蕉を住まわせていた住居が、あった辻の由です。俳人芭蕉とは、全く関係がない偶然にも同じ名前(俳人も隠密も共に本名ではないと思われます)の人物が、仙台にいた由です。俳人芭蕉がおくの細道の行程で、この辻の近くの大崎庄左衛門方に宿泊したので、この辻を知り驚いたであろうと想像されます。
国分町にあります。今は歓楽街のイメージが強いですが、かつては奥州街道の要所。江戸と津軽のほぼ中間。
仙台の歴史的中心。東西はお城に続く道。南北は国を分ける国分町通りが青葉神社まで続く。さらに江戸まで続く街道になる。芭蕉の辻には、日銀仙台支店などがある。ここを原点としては、北四番丁通り、東二番町通りと東西、南北の通りに番号がついている。春分、秋分の日の夕方に東西の通りに日が通る。
遥かな歴史を感じました。ここが奥州街道の中心地。月日は百代の過客にして行き交う時もまた、旅人なり(芭蕉)。
浅田次郎『流人道中記』でたびたび登場の地。本書によれば、かの松尾芭蕉とは縁もゆかりもない、とか。「江戸日本橋迄69次93里、津軽三厩(みんまや)迄45次107里」2021.9
松尾芭蕉ゆかりの場所かと勘違いしていた。
| 名前 |
芭蕉の辻(仙台城 城下町の中心交差点) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
022-214-8259 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ランチプレートのボリュームがすごく、ランチビールもヘイジーIPAが飲めて大満足でした!仙台っていい街、、、住みたいー笑。