須伎神社でカモシカ発見!
鶴ヶ峯八幡神社の特徴
森の中に位置する神社で、静かな自然に囲まれています。
県内でも随一の造形を誇る庚申塔が見どころです。
宮床田手岡館伊達氏の氏神としての歴史ある神社です。
延喜式神名帳の陸奥國黒川郡の項に記載のある須伎神社の論社。須伎神社は当社に合祀、または境内社の鳴上賀茂明神神社であるという説がある。境内入口の由緒案内によると次のとおり。古来、ここには八幡宮があった。そこに長徳元年(995)に宮内少輔が京都の賀茂明神の御幣をもって鶴ヶ峯に勧請し、宮中大明神として祀った。鴇田淡路実清が斯波宮内大輔氏直(黒川氏)の家臣となり、信州より諏訪明神を勧請して、宮中八幡に祀った。諏訪明神に神剣の怒撃丸(正和4年(1315)備前景光作)を鴇田氏が奉納。(以下略)ここでいう宮内少輔、宮内大輔というのは宮内省の官位であって名前ではない。少々ややこしいが、奥州斯波氏は足利氏の流れを汲む名門。陸奥黒川氏は斯波一門の大崎氏分家の最上氏の一族。その黒川氏の初代は氏直である。台風の影響で小雨降る中、参拝。石段がしっとりと濡れていて、とても美しいのだが、ツルツルに滑りやすく、慎重に登る。境内には小さな祠が一つあって、これが境内社の鳴上賀茂明神神社だろう。
鳥居の右側に、造形が非常に整った県内でも随一の庚申塔があります。また社殿の左側、2つの小祠の奥にも道が続いており、賀茂神社碑がありました。
急な階段を登ります。石像などがあります歴史を感じさせる神社でした。
次回、この奥へ。(いつになるのか…)
通称は宮中八幡といい宮床田手岡館伊達氏の氏神だった社で、案内によると、古来八幡宮が祀られていましたが、長徳元年(995)、宮内少輔が京都の賀茂明神を勧請し、宮中大明神として祀りました。さらに、鴇田淡路実清が信州より諏訪明神を勧請して宮中八幡に祀りました。その後代々の伊達藩主からも篤い崇敬を受け、享保15年(1730)藩主吉村公が八幡宮を造営しました。別当は羽黒派当村修験鶴峯山正善院でしたが、社殿は、明治9年の山火事で焼失してしまいました。境内社の鳴上賀茂明神宮は、安永3年(1774)の「黒川郡宮床村風土記御用書出」によると式内社・須伎神社と比定されたようです。御祭神:應神天皇 神功皇后 玉依姫境内社:鳴上賀茂明神宮例祭日:9月第2日曜日。
[延喜式内社]陸奥國 黒川郡 須伎神社。
野趣あふれる古い神社です。ゴミが不法投棄されているためか、本来の入口の参道への道は封鎖されています。参拝へは、脇道の杉林の中の道を辿っていきます。杉林の道は手入れされていて、普通に歩けます。杉林から本来の参道に辿り着き、参道の石段を上がると古くて小さいな社殿に行きつきます。国道457号線沿いです。近くでクマとバイクの衝突事故も起きているので、朝や夕方のお参りは控えたほうが良いかもしれません。
神社前でカモシカに出会いました。とても歴史があっていい神社ですね。
名前 |
鶴ヶ峯八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
090-7663-5218 |
住所 |
|
HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020366 |
評価 |
4.4 |
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森の中の神社。中々風情があっていいところでした。入り口から奥が見えないので、結構歩くのかなと思いきや、そうでもありません。石段が結構急です。参道が三方ありますが、一番右を行くといいと思います。