丹沢山地を望む伝説の丘!
伝説の丘の特徴
丹沢山地と相模川の美しい眺望があります。
秋にはイロハモミジの見事な紅葉が楽しめます。
星の谷観音の伝説が息づく歴史ある丘です。
県立座間谷戸山公園の一角にある丘。北入り口(駐車場)すぐそば。天気が良ければ大山をはじめとする丹沢山塊がよく見える。かつて観音堂があったという「伝説」がある丘。現在は小田急線沿いにある星谷寺がその後身だそうです。公園になる前からあったと思われる墓地が点在しています。
丹沢山地を望む眺望。いろは紅葉、竹林、東屋あります。トイレは近くの北口駐車場にあります。
2021.04 見晴らしは良いのだが、「伝説」が わからなかった。毛虫に注意。
正面には相模川越しに大山、丹沢の山並みが眺望できます 秋にはイロハモミジの紅葉が見事です。
天正年間(1573-1592)に、八王子城主・北条陸奥守氏照が創建した山陣場は星谷観音堂がある場所に、北条陸奥守氏照が長年に亘って幾度も陣屋として利用したものであり、星谷観音堂はもとは寺の北東にある本堂山山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)に在りました!
星の谷観音物語(伝説)「伝説の丘」命名の由来となった星の谷観音物語(伝説)の一部を紹介します。現在のひまわり公園テニスコートがある部分の奥の丘あたりは、昔は「見知らずの森」と呼ばれ、はいり込んだら出ることができない、といわれるくらい奥深い森が繁っていました。今からおよそ千四百年ほど前の昔のこと、ある日突然、ごの丘あたりが、大きな音を立てて揺れ動きました。村人たちは大変驚いて、このような怪しい変わった出来事は、仏様の力で静めてもらうよりほかにないと、この丘より少し西方で現在の伝説の丘(公園ができる前までは本堂山と呼んでいた)ヘ、坊さん(僧)を呼んで来て、法華経という有難いお経を称え続けさせました。どのくらい称え続けたのかわかりませんが、やがて、怪しい鳴動はやんで、空中に美しい音楽が聞え、花びらがたくさん舞い散ってきました。そして、そこに生えていた太い松の梢の上に、金色に輝くお姿の正観音が現れました。この観音様は大慈観音とも申し上げ、人間が地獄ヘ落ちた時に救ってくださると言われている、有難いお方てす。やがて、この観音様のお姿は消えましたが、村人たちはこの本堂山(現在の伝説の丘)に小さなお堂を建て、僧を住まわせ、出現された正観音を本尊として、毎日法華経を読ませておりました。この丘の南東の麓の谷は「蛇穴谷戸」(現在の水鳥の池上流の南谷戸付近)と呼ばれており、その頃はここにー匹の大蛇が住んでいて、時々出て来てはこの僧を呑み込んでしまおうと、隙をうかがっていましたが、僧はいつも法華経を読んでいますので、近付く隙はありませんでした。こうして何年か経ちました。ある日、この丘のあたりに真黒い雲が立ちこめて、その中から大蛇が現れました。そして大蛇は「私はこの山の奥に住む蛇てすが、たびたび法華経を聞いて、その効験があり、お陰でこのたび悟りを開き、成仏することがてさました。まことに慈悲深いお経を聞かせていただき、本当にありがとうございました」と僧に話して、姿を消し、黒雲もまた消えさりました。さて、それから百何十年か過ぎ、およそ千二百五十年ぐらい前の天平年間のこと、後に東大寺の大仏様の建立にカを尽〈した行基菩薩が、諸国を廻っておられた時、この所へ仮住いされたことがありました。この行基普薩は観音堂に関するこれらの話を聞き、正観音の像を彫刻して、この観音堂句本尊としてくださいました。月や星の美しく映える谷にちなんで、この観音堂は、誰言うとなく星の谷観音堂と名付けられ、多くの人々kら深く信仰されました。(平成4年座問市教育委員会発行「座間むかしむかし合本集」より)〈平成27年11月作成〉
眺めがとても良い。
伝説というのは、こけおどし。
孫、一緒、散歩セミ取りカブトムシ取り、最高です✨
| 名前 |
伝説の丘 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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谷戸山公園で一番景色の良いところは?と聞かれたら 真っ先に思い付く場所です。