旧西国街道を越えて、石塔へ。
伝 与市兵衛の墓の特徴
新西国街道と旧西国街道が分かれる地点に位置する石塔です。
訪れた際は、案内看板が腐っていることに注意を要します。
京都府長岡京市友丘二丁目の静かな場所に佇む史跡です。
京都府の長岡京市の友丘二丁目、新西国街道と旧西国街道が分かれて行く地点から、旧西国街道を西に歩いていくと石塔が建っている。この石塔は「与市兵衛の墓」と言われる供養塔だと言う。じゃあこの石碑はなんなんだというと清誉浄佐という人物が、両親を供養するため、高野聖を千人寄宿させたことを石碑に刻んで置いた…だそうです。高野聖は高野山を起点に全国を行脚しているお坊さんのこと。清誉浄佐のご両親は国中を歩く高野聖をきっと手厚くもてなしていたんでしょうね。「与市兵衛」と言うのは、「忠臣蔵」の登場人物の一人である人物で、「萱野三平」の妻の「お軽」の父であり、萱野三平にとっては義父に当たる人物である。ただし、実際の赤穂浪士の物語とは違って人形浄瑠璃や歌舞伎でお馴染みの「仮名手本忠臣蔵」と言う物語での話です。
| 名前 |
伝 与市兵衛の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
2.3 |
| 住所 |
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案内看板が腐って倒れそうです。危険な状態。