白山公園で歴史を感じる散策。
楠本正隆像の特徴
楠本正隆は新潟の基盤を築いた偉人です。
白山公園には多くの史実的な建物があります。
美由岐賀岡に在る楠本正隆像は必見です。
白山公園内の美由岐賀岡に在ります。楠本正隆とは…明治5年6月からの3年余り新潟県令(後の県知事)として、わが国最初の県議会を召集するなど新潟の文明開化の都市基盤整備政策を行った人物。太政官布達の公園設置を先取りして、前年の明治5年から江戸時代以来の景勝地であった白山神社境内に公園の造成を始めました。この楠本氏のブロンズ像は小高い松林の丘(美由岐賀岡)に佇む姿にて建立されています。
白山公園の創設者(原文)白山公園的創設人。
楠本正隆像の脇の立て札より白山公園創設者新潟県令 楠本正隆楠本正隆は西州と号し、天保九年(一八三八年)肥前大村藩(長崎県大村市)の上士として生まれました。幕末・明治維新の激動期にすぐれた識見と卓抜した指導力を発揮し、その手腕を認められ新政府に招かれました。明治五年(一八七二年)新潟県令となり、明治初年の地方行政の指導者として、積極的に諸政策の推進につとめました。なかでも公園に特に熱情を示し、明治六年越しの千本松原といわれたこの地に、太政官布達によるわが国で最初の公園である新潟遊園(白山公園)創設しました。在任した三年余に、大河津分水騒動の処理、新潟県・柏崎県を合併し県都を新潟町(市)に定め、わが国で最初の県議会を招集し、新潟町の道路・水路・堤防・橋梁・街燈の整備・郵便・為替制度の採用・学校・病院・第四国立銀行の開設 農産改良、信濃川水運開拓など、あらゆる面で文明開化の都市基盤整備を行い、新潟町の近代化に大いに貢献しました。明治八年、新潟をあとにしたのち、東京府(都)知事 衆議院議長などを歴任し、明治三十五年、六十五歳で病没しました。楠本正隆の功績をたたえ、後世に伝えるため平成元年三月に銅像を建立しました。
| 名前 |
楠本正隆像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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新潟を海外の客人が来ても大丈夫なように基盤を作った人物楠本正隆史実を見るとルールが無かった時代にルールを作る大変さが伝わってきます白山公園は日本初の公園と言う事もあり園内にある史実的な建物のバリエーションがとても多く楽しめます散策がてらじっくり見てみると楽しいですね。