"川中島町原の最高の場所、世茂井神社!
私にとっては、最高の場所。
名前 |
世茂井神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/01hokusin/07sarashina/11075yomoi.htm |
評価 |
4.3 |
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世茂井神社(よもいじんじゃ)現在は住宅に囲まれた川中島町原にある産神。〈御祭神〉建御名方命(たてみなかたのみこと)〈由緒〉創建は推古天皇30年(622)と謂われているが詳細は不明。戦国期となると村上氏、武田氏、真田氏と目まぐるしく領主が変わったが、「諏訪大明神」と称されていたことからか神祭料は変わらず下腸されてきたとのこと。江戸時代の寛政9年(1797)「地名を貰って世茂井神社として戴きたい」旨の趣意書を信州更級郡原村の名主・組頭・産子総代(2名)・本願寺神主の連盟で京都本書へ出願する。この時の建物の状況、所蔵する神具、境内にある末社、祭礼日などを書いて添付していることから、現在以上に備品が整い、立派な規模であったことがうかがえる。同年「諏訪大明神信濃国更級郡世茂井郷原村、右は宜しく世茂井神社と称し奉るべし」との許可がおり、祭が盛大に行われたと伝わる。やがて、明治39年(1906)の勅令交付により一村一社を目標に村内に散在する神社、諸神が合祀され現在に至る。昭和22年(1947)拝殿と本殿屋根の葺き替え、昭和43年(1968)屋根の改装と社殿の営繕が行われた。〈境内社〉琴平社、伊勢社、稲荷社、秋葉社、市大神、天神宮、猿田彦命、水波能女大神、石尊社ほか庚申講中碑の中には、「室町時代中期の応永4年(1397)講中」とある「青面金剛明王塔」(江戸時代中期のものとする説もある)をはじめ、約20体が合祠されている。〈構造物〉拝殿、本殿、石灯籠、両部明神鳥居、大ケヤキ、大イチョウ、宝庫、公衆男女別トイレ。