宍戸陣屋で広がる歴史の彩り。
スポンサードリンク
宍戸は秋田氏5万石の城下町。三春に国替え以降、宍戸は天領となり大名は配置されなかった。幕末、水戸藩の支藩が置かれ旧・宍戸城の本丸跡に陣屋を設け支配を行った。宍戸一帯は秋田氏の宍戸城跡の縄張りに従った道路、土塁、堀跡が残されていましたが近年市街化が進み失われつつあるのが残念です。
| 名前 |
宍戸陣屋跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
宍戸陣屋(ししどじんや)は、常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。宍戸陣屋の前身の宍戸城は鎌倉時代初期に八田氏が築いたといわれる。戦国時代になると佐竹氏の持城となった。慶長7年(1602年)秋田実季が出羽国より入り、正保2年(1645年)子の俊季の代に陸奥三春藩に転封となった。天和2年(1682年)、水戸藩主徳川頼房の七男・松平頼雄が1万石を与えられ、城を陣屋に改めた。以後9代頼徳まで続くが、幕末の元治元年(1864年)、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、藩主自ら幕府より責任を問われて切腹を言い渡され、廃藩となった。その後、幕府の代官支配で明治維新を迎えるが、慶応4年(1868年)に朝廷のとりなしで再度立藩することとなった。