ゴルフ場横、歴史感じる旧村社!
河輪神社の特徴
日本三代実録に記された歴史深い神社です。
河輪神本殿はゴルフ場の近くに位置しています。
甲寅の日に由来する重要な文化財です。
旧村社。式外社(国史現在社)。御祭神:淤迦美神(おかみのかみ)。創建:平安時代以前相当。資料によると、当社は『三代実録』に記載されている「河曲神社」と想定され、いわゆる国史現在社と考えられる。鎮座地は志戸川の湾曲した流れに面している字上川輪先の諏訪山である。社伝によると、延暦20年(801年)坂上田村麻呂が蝦夷征討の折、当社に祈願したという。その後、武蔵七党の猪俣党河勾氏(かわわ)の本貫地として、河勾七郎・河勾左京進入道等の子孫代々の信仰を得て社殿の造営を行った。次いで、慶長年間(1596-1614年)には地頭安藤彦四郎が信州の諏訪神を合祀し、別当光勝寺を祈願所としてより諏訪神社と改称したという。以後、江戸時代は諏訪神社と称した。明治28年(1895)に再び河輪神社に改称したといい、明治40年には字新井より移転した北向五社の一つである北向神社、字天神に祀られていた赤城神社・妙義神社・榛名神社・天手長男神社、同41年に字横手の御嶽神社、字塚田の富士仙元社を遷座したといいます。とあります。明治40年には字新井より移転した北向五社の一つである北向神社を遷座したとあり、境内社に、北向神社の様に真北の方向を向いた社がありました。河輪神社の社殿も北西の方向という神社では珍しい方向を向いていましたが。ここ諏訪山には諏訪山古墳があり、河輪神社から南西方向の諏訪山の屋根をたどるとあります。径39m、後円部径30m、同高4m、前方部幅18m、同高1mの帆立型前方後円墳。ゴルフ場が切迫していて、侵食しているように思われます。参道の鳥居を見つけてそこから歩き始めましたが、かなり先が見えないので、一度脇道を車で上りました。ところが、山の中腹の墓地あたりで道の両脇の藪で道が狭くなり、中座して戻ることになり、改めて覚悟して参道を歩いて上ることにしました。やっと登り切った境内の裏手に回ると、すぐそこがゴルフ場のグリーンで、鮮やかな開けた緑になっていました。ここは標高113mの諏訪山の山頂部にあたるらしいです。
日本三代実録 貞観十七年十二月五日甲寅 河輪神本殿裏、ゴルフ場との間に駐車スペースがあります。ただ、上がるまで道が狭いのでこちらに停めるのはお勧めできない。
名前 |
河輪神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.9 |
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ゴルフ場脇です。車で強引に上がれますが…