甘楽町の歴史感じる石樋散歩。
甘楽町小幡城下に雄川から、生活用水を流した水路を沢をまたぐ所を石樋を造った所です。西暦1865年頃に小幡藩主の松平氏の命により造ったようです。
| 名前 |
吹上の石樋及び石樋記(石碑) |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.town.kanra.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/merumaga/20120830090612.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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甘楽町指定重要文化財。歴史的風致形成建造物◯地域におけるその固有の歴史及び伝統を反映した人々の活動と、その活動が行われる歴史上価値の高い建造物及びその周辺の市街地とが一体となって形成してきた良好な市街地の環境をいう。甘楽町の文化財ホームぺージから転載。吹上乃石樋は、堀沢川を横断する雄川堰に架けられた水路で、石材を組み合わせて構築されている。一級河川雄川からの取水口より645m下流に位置し、石樋の流路底から堀沢川までの高さは2.5m。石樋は、小幡藩最後の藩主松平忠恕の命により、慶応元年(1865年)8月から翌年3月までの間に木樋から石樋に架け替えた大工事である。長さ7.7m 水路幅2.2m、その石材加工技術は素晴らしく、特に石底は2個の石で組まれ、上手に整形され、両石間は格差が分からないほど精巧にしあげられている。石樋の組合せは、水路底石2石、右側側壁石2隻、左側側壁石3石の計7石で形成され、4本の側壁押さえ石がつき、石材は全て緑泥片岩である。石樋記の石碑は、石碑工事完成を祝して建てられた記念碑で工事に至る経緯や江戸時代末期の工事方法や工事状況が記されている。石碑の題字は松平忠恕による篆書、内容は漢文で縦書きに書かれている。石材は緑泥片岩である。雄川堰の水が澄んで美しい。