歴史と自然が息づく天神山。
天満宮〈岩鼻代官所跡〉の特徴
天満宮は岩鼻代官所跡に位置する神社です。
元々は古墳であり、戦国時代に関わりがある場所です。
天神山古墳の上に天満宮の社が鎮座しています。
天満宮は岩鼻代官所跡にある物見台の上ある神社で、由来がなかったので解りません。周りには日本化薬㈱の施設があり、芝生と天満宮の辺りは別の感があります。
岩鼻代官所(陣屋)及び岩鼻県庁跡にある、天神山は陣屋時代には物見台として使用されましたが、元々は古墳であり、また戦国期には武田信玄書状に出てくる岩鼻砦だと推定されているそうです。現在この山上には天満宮の社があります。天満宮と言えば、菅原道真公(天神様)。天神様と言えば、「使いの牛」と言う事で、石段の登り口の所に牛の像がありました。
高崎市岩鼻町の岩鼻陣屋跡現在は陣屋跡の一角に天神山古墳を残し、山上には天満宮の社があります。跡地の大部分は日本化薬株式会社の社員寮の敷地になっていますので、無断の立ち入りは基本出来ません。岩鼻代官所(陣屋)及び岩鼻県庁跡寛政五年(1793)徳川幕府により此の地に岩鼻代官所が設置され、初代の代官に吉川栄左衛門と近藤和四郎が任命されました。慶応元年(1865)には木村甲斐守が関東郡代として着任し、上野の幕府直轄地、旗本領、寺社領、大名の預り所と武蔵国六郡を支配し、世直し一揆の鎮圧に江戸の北辺の守りの中心となりました。慶応四年(1868)岩鼻陣屋崩壊するや新政府は六月岩鼻県を設置し、大音龍太郎を軍監兼当分知県事に任じ、旧代官所跡が岩鼻県庁となり、旧代官所時代とほぼ一致する地域を支配しました。また明治二年(1869)には吉井藩を併合しました。明治四年(1871)十月二十八日岩鼻県は廃止され第一次群馬県が成立し、県庁は高崎城内に移されました。(現地案内板より)新国劇の「赤城の山も今宵限り‥‥」のセリフで有名な国定忠治が殴り込んだ代官所は、ここです。(殴り込み自体は、話しを盛り上げるための創作らしいです)岩鼻陣屋(岩鼻県庁舎)の道をはさんだ東には、戦前陸軍岩鼻火薬製造所が建設され、陸軍官舎が建てられました。敗戦後土地は分割され、現在は日本原子力機構高崎研究所、日本化薬株式会社、及び群馬の森公園になっています。
名前 |
天満宮〈岩鼻代官所跡〉 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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今日は風が強く長瀞線が工事中のため遠回りをしてやっと着きました。前から見学しようと思っていたのですがなかなかできませんでした。八幡宮をお参りして案内図を見たのですが薄くなっていて字がよく見えませんでした。県庁跡地とありましたが全部見ないで帰ってきました。