土浦の桜川畔で聖徳太子参拝。
聖徳太子堂の特徴
昭和11年に地元有志が建てた歴史あるお堂です。
聖徳太子を祀る文化財としての重要な役割を果たしています。
土浦城巡りの際にはぜひ立ち寄りたい神社です。
昭和11年に土浦の有志により桜川畔に建てられたのが始まり。昭和40年に土手の改修工事のため、土浦五職組合の人々が亀城公園内に移し、職祖神として太子をお祀りしているそうです。太子の神格が職人の祖神とされているためでしょう。鳥居はありますが、神社というよりも仏教のお堂です。上古の天皇が神様となるのは珍しいことではありませんが、太子の場合は、渡来したばかりの仏教を国家宗教として発展させるに力を尽くした方なので、神道の神様とするのは神仏混合の日本でもさすがに・・・なのでありましょう。お堂は、旧・土浦城跡の亀城公園南の旧前川門近く、土浦城の内堀に向いて鎮座まします。
💮土浦城巡りをしていて見つけてました❗もちろん参拝もして来ました‼️
聖徳太子なんて、現代人にとっては「むかしのなんだか偉い人」にすぎないかな?学校時代に「十七条の憲法」を定めたとか習うだけか。古い人なら一万円札・五千円札の肖像の人物。最近の教科書からは(ある種の「歴史観」に基づいて、存在しなかったか、「厩戸皇子」と呼ばれて)抹消されているそうだが、かつては建築や木工の守護神として、庶民のあいだでも広く信仰された人物だ。江戸時代には、太子の忌日の二月二十二日が「太子講」の日で、木工職人や建築関係の職人たちが、太子の図像を掛けたひと間に部屋に集まって、飲み食いしながら仕事上の問題を話し合った。当地でもそういった信仰があり、講の人たちがお堂を祀っておられるのだろう。
聖徳太子堂。聖徳太子を祀る。昭和11年(1936年)建立。
神明造。玉垣には土建屋の名前が多く刻まれる。地元の太子講によって建てられたのだろう。案内板には,もとは桜川沿いにあったそうだが,治水工事に伴って当地に移転されたとある。
聖徳太子堂:土浦市中央1丁目(亀城公園内)鎮座聖徳太子堂は、日本文化と日本仏教の元祖である聖徳太子が祀られています!境内の聖徳太子報恩碑は、昭和11(1936)年に土浦の有志により桜川畔に建てられ、次いで昭和40(1965)年、土手の改修工事のため移されることになり、時の市長であった天谷丑之助氏の厚意により、土浦五職組合の人々が、亀城公園内に移し、御堂を建て太子御尊像を奉納したとの事です!以降、五職組合の人々が聖徳太子奉讃会を興し、職祖神として太子をお祀りしているそうです!でも、土浦と聖徳太子の結びつきが今一つ・・・・・💦
聖徳太子を祀っているそうです。
ポツンとあります。
現在、本丸は無いのにお堀と外側だけで充分にお城を満喫出来ました。街中にあるので彦根城を思い出しましたが、又 異なる素晴らしさを感じました。
| 名前 |
聖徳太子堂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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