歴史を感じる御成街道。
西向地蔵尊(船橋市本町2丁目)の特徴
東金鷹狩にゆかりある歴史的な場所です。
御成街道の出発地としての重要な役割を果たしています。
地元の人々によって美しく保たれているお地蔵さんです。
御成街道【船橋-東金】の出発地 地元の素晴らしい人の管理で、いつもキレイな状態です。
船橋の街歩きで出会った。「にしむきじぞうそん」と読む。船橋市公式ホームページによれば、「ここは旧船橋宿の入り口で、かつては罪人の仕置場(処刑場)と言われている。地蔵尊像、阿弥陀仏如来像、聖観音像が全て西側に向いていることから地元では西向き地蔵と呼んでいる。」とか。
地元の伝承によると、むかしは罪人の御仕置場(処刑場)があったという(『船橋の歴史散歩』宮原武夫著)。船橋は、正式の宿場町ではなかったが、交通の要衝として、事実上はその役割を果たしていた。人の流れは絶えず、当然というべきか、遊郭もあったので、犯罪者なども入り込んでくるから、宿場のはずれに処刑場を設け、犯罪抑止の「見せしめ」効果を狙う。それとともに、町の境界として、邪気を遮断する霊的な関所の役割も与えられていると思われる(江戸の小塚原や鈴ヶ森のような)。文字が確認できなかったが、お地蔵さんの中には万治元(1658)年のものもあるという。
こんなところにお地蔵さん、という驚き。手水鉢、鈴、賽銭箱もあります。
名前 |
西向地蔵尊(船橋市本町2丁目) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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東金鷹狩のために慶長19年家康の意を受けた。佐倉城主土井利勝が街道沿いにある96の村々に分担させて、造成したものとされている。一夜街道とも呼ばれ一ヶ月足らずの突買工事であったといわれている。西向地蔵昔の船橋宿の入ロで地元の伝承では罪人のお仕置き場であったと言う。ここには市内最古の石仏である万治元年(1658年)の地蔵があると書いていました。