根津山で語り継ぐ平和の想い。
豊島区空襲犠牲者哀悼の碑の特徴
かつての戦争犠牲者を忍ぶための碑が存在する場所です。
雑木林に囲まれた静かな空間で歴史を感じられます。
池の多い地域に由来する池袋の名にも触れられます。
東京の人は雑木林でも「山」と呼ぶそうで、ここも「根津山」と呼ばれていた鬱蒼とした雑木林だったそうです。
快適、若い女の子が多い(原文)舒服,年轻的女孩子特别多。
戦争の悲劇を忘れないように。
昭和20年当時は、根津山と呼ばれ、空襲によって亡くなった無念の方々が埋葬されたそうです。今では、綺麗な公園となりましたが、これも平和な世の中あってこそ。いつまでも平和が続くと良いですね。
池袋村の中心は、中池袋公園があるあたりで、村は林に囲まれていたそうで、村の中心には池が多くて、その上、周囲の林のせいでまるで袋の中に入ったように見えたのが池袋の名の由来なんだそうです。根津山というと、地方から来た人は昔山があったのかと勘違いしてしまうようですが、東京では林になっている場所や坂になっている場所を山と呼ぶようで、山手線も林の中を走っていたのが由来。江戸時代の読売(瓦版)に「池袋の女に手を出すな」というのがあったそうです。池袋はろくに畑作ができないため、村人は江戸に奉公に行ってたそうで、江戸のある商家に奉公に行った女性がそこの旦那さんに手をつけられそうになった時、突然その店が揺れて、さらに外から石や板などが投げ込まれたそうで、人口の少ない池袋村の神様が人口が減るのを嫌がり邪魔をしたという内容だったそうで、この読売が出て以来、池袋の女は結婚できなくなったとか。哀悼の碑とは関係無い話になりましたが、ここに埋葬されたのはそれだけ人口が少なかった証拠でしょう。それに戦争中は豊島区ではなく、このあたりは北豊島郡だったから、郡の時と今では範囲が違うのではないかな。
碑”というから石碑というか鉱物でできたものを探してしまったが、金属製の説明ボードのようなものだけだった。感覚が古いのかもしれないが犠牲者哀悼というのであればこれでは物足りないと思うが・・・真後ろに重なる位置の豊島区役所ブリリアタワーをそれと思ってもいいのかな?
平和を願う哀悼の碑です。
南池袋公園の中にある。
名前 |
豊島区空襲犠牲者哀悼の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3981-1111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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この場所で、かつて戦争の犠牲となった数多くの方々が埋葬された、との明記を確認できます。初見でこの公園を訪れたときには、気が付きませんでした。それぐらい目立たずひっそりとした佇まいです。芝生の上でくつろげる時間も、こうした史実のもとにあると思うと、少し神妙な気持ちになりました。