板橋宿で歴史を感じる旅。
板橋宿本陣飯田新左衛門家跡の特徴
旧中山道沿いに位置する歴史的な屋敷跡です。
名を由来とする板橋や縁切榎などの見どころがあります。
江戸時代の大名の休憩所だったことが魅力的です。
旧中山道に散見される史跡の立て看板のうちのひとつ。人通りの多いライフの隣にあるので、読んでいると死ぬほど恥ずかしい。読みたくても人の目が気になって素通りしている人もいると思われる。そのうえ住宅のブロック塀から数センチしか離れておらず、情緒も史跡感のカケラもない。もうちょっと立てる場所、なんとかならなかったのか。内容は、板橋宿本陣の説明。江戸から近すぎるので宿泊よりは休憩所として主に使われ、送迎の場としても機能していたそう。「遠路はるばる・・・」とか「では達者で・・・」みたいなやり取りがあったかと思うと、それはそれで趣きがある。
板橋宿は古い建物は残っていませんが、名の由来になった「板橋」や縁切榎などの名所があり、見どころがあります。
隣がスーパーライフだからあまり立ちどまりが出来ないライフのまえ買い物自転車で一杯。
代々新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡です。本陣は、参勤交代で通行した諸大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休泊した施設のことです。関札(大名が宿泊する際に掲げる表札)や古文書が伝わります。
「板橋宿本陣飯田新左衛門家」と題打った案内板あり。
板橋宿は、板橋本町に上宿があって、仲宿に中宿、板橋に平尾宿の三宿があったそうで、この三宿の総称だったそうです。ただ、ここに下板橋村だったので、地元では下板橋宿と呼んでいたらしい。平尾宿は公設の貨物ターミナルのような場所で、人足や荷馬車が常備されていたらしく、中宿は商人宿になっていて、上宿に本陣があったと言われてます。そう考えると、中宿に本陣があるのは変な話になりますね。本陣は宿屋ではなく、その土地のお寺さんや、豪農や豪商の屋敷が利用されていたらしく、上宿には宿屋はなかったそうです。
もう少し歴史説明板が欲しい。
街道を通行する大名の休憩所だったそうです。
まぁ、普通ですよ。
名前 |
板橋宿本陣飯田新左衛門家跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
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歴史好きの人には色々思うところあるんでしょうけども、そうでない私にとっては、ハッキリ言って気付かないレベルのオブジェクトです。解説の札があるので読んでみるといいと思います。