聖武天皇の荘厳な御陵。
法蓮北畑古墳(聖武天皇 佐保山南陵)の特徴
第45代聖武天皇の陵で、静かな整然とした雰囲気があります。
法蓮北畑古墳は国分寺行脚をする者の聖地です。
近鉄奈良駅から徒歩10分強でアクセス可能、訪問しやすい立地です。
奈良市法蓮町に立地する第45代聖武天皇の陵墓です。JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈良交通バスに乗って法蓮仲町の停留所が最寄になります。私はJR奈良駅から徒歩で向かいましたが、片道2.5㎞ほどなので軽い運動にぴったりでした。奈良のきたまちエリアの町並みを歩いていると急にあらわれる荘厳な空間で、非常に素敵な空間でもありました。光明皇后陵墓が隣接していますので、同時に参拝することをお勧めいたします。
東大寺に行った方は、こちらにも行きましょう的なところです。奈良天平文化の花開くなか、東大寺大仏建立と言えば、このお方です。脇には皇后の御陵もあります。静かにたたずんでいらっしゃいます。
とても素敵な御陵です。私が近くに住んでいたら毎朝お散歩がてら参拝したいくらい。拝礼所からまっすぐ行くと聖武天皇陵、途中を右へ行くと光明皇后陵です。どちらの御陵も、鹿が住む静かな森に囲まれています。朝早く来ると鹿の姿も見えるかも?
夫婦は一対の反射鏡なんですね。独身なんでただただ憧れです。聖武様、光明子様、ありがとうございます!!!!!!!
奈良市きたまちの一角にある、広大な敷地。宮内庁管轄で簡素かつ神聖な雰囲気を感じることができる。
奈良市法華寺町の住宅街にある佐保山南陵(さほやまなんりょう)は遺跡名は「法蓮北畑古墳」(ほうれんきたばたげこふん)とも呼ばれ、第45代聖武天皇(しょうむてんのう)の陵墓とされています。聖武天皇は東大寺創建など仏教政策に尽力されました。また隣接する佐保山東陵は光明皇后(こうみょうこうごう)の御陵とされています。第45代 聖武天皇(701〜756)は、文武天皇の第一皇子として生まれました。天平年間に天然痘の大流行や災害が起こり、多くの国民が亡くなる惨事に見舞われ、仏教に深く帰依した聖武天皇は天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平15年(743年)には東大寺(とうだいじ)盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)(通称、東大寺大仏)の造立の詔を出しました。756年に56歳で崩御されました。その後、光明皇后は天皇の御冥福を祈念して、聖武天皇の御遺愛品など600点を越える品と、薬物60種類を本尊盧舎那仏(東大寺大仏)に奉献されました。皇后の奉献は5回におよび、その品々は正倉院(しょうそういん)に収蔵されました。これが東大寺正倉院の起源です。
あの聖武天皇のお墓がこんなところに?!と思うほどひっそりとあります。静かで散歩してる人もほとんどいないですが、なんとなく厳かな気持ちになります。ゴールデンウイークの時期には東大寺の山陵祭かなにかで、お坊さんたちが毎年行列してお参りする光景が見られます。
観光地ではないので静か。陵墓まで続く参道の景色がとにかく荘厳です。こころ安らかにお参りしましょう。
国分寺行脚をする者の聖地です。やっと訪ねることができました。繊細な天皇と豪快な皇后の関係が良く表れているような感じでした。
名前 |
法蓮北畑古墳(聖武天皇 佐保山南陵) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-22-3338 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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拝所の鳥居が撮りにくい陵墓です。古墳が聖武天皇陵として治定されているので墳丘があるはずなのですが、全然墳丘が見えません。他の陵墓と比べてとりわけ木が多い気がします。5枚目の写真は光明皇后陵の参道から撮ったものですが、土塁のような見た目だったので墳丘ではないかもしれません。ところで法蓮北畑古墳ってどこに記載があるんでしょうか。遺跡地図にはありませんでしたが。