大宮宿の伝説、塩地蔵。
塩地蔵尊の特徴
大宮宿時代の伝説が今も息づく塩地蔵尊である。
旧中山道の路地奥にひっそりと佇む立派なお地蔵さん。
念佛講中や安永十年辛丑二月吉日の刻印がある石碑。
小道にあるにしては結構立派なお地蔵さん。旧中山道沿いにもその案内看板もある。
大宮駅東口から徒歩7、8分ほど、旧中山道の路地を入ったところにひっそりと佇んでいました。駅近なのにビルの谷間で辺りは静かです。路地の入り口にある案内板は三体の地蔵尊が描かれたとてもきれいなものでした。
正面「念佛講中」左側面「安永十年辛丑二月吉日」右側面「大宮宿 吉敷町」と彫られた正方形の石が、向かい合って左手のお堂の左下に安置してある。これはおそらく地蔵の台座の一部だったものかと思われる。いまは天水受けに使われているようだ。安永十年(1781年)となれば、江戸も折り返しを過ぎた頃。地蔵の素材が新しい様に見受けられるが、残っているものは残っているものなのだなあ、と感慨深く思う。この地蔵尊には逸話がある。娘二人を連れた旅の浪人がいたが、大宮宿にやって来たところ、病で動けなくなった。ある夜、娘の夢枕にお地蔵様が現れ、「塩だちすればよくなる」と告げられた。娘達は急いで塩だちして祈ると、浪人の病は嘘のように治った。以来、この地蔵尊に願掛けする際には、塩を備えることになった。お地蔵さんの塩を貰い、体の悪いところにつけ、全快したときには、頂いた分の二倍三倍の塩を納める風習があったとのこと。疣に善く効くと言われ、かつては八月の縁日に露天が並び、賑わったとか。『埼玉のお地蔵さん』(p16)参照。
街中では珍しいしい、二つのお堂がならんだ地蔵堂です。大通りからは外れているので落ち着いて参拝できます。塩地蔵というと、塩そのものをお地蔵様に刷り込むタイプと塩を奉納するタイプの二つがありますが、こちらは塩を奉納するタイプのようです。賽銭箱はありますが、燭台、香炉はないので、参拝す際は奉納する塩を持参するのがよいかと思います。
中山道歴史散歩コースの案内ににひかれて漂着2つのお堂に新しめなお地蔵様が収まっています。霊験あらたかな逸話は、手作りの額に収められた説明文で読むことが出来ます。大マンションの片隅に追いやられてなお、地域の人からは愛されている感。です。
次のような言い伝えが残っている。 昔、妻に先立たれた浪人が幼い2人の娘とともに旅をしていたところ、この地で病に倒れた。 嘆く娘たちはある日の夜、夢枕に地蔵菩薩を見る。 そのときのお告げに従い、塩断ちをして地蔵堂に祈る娘たちの願いは叶い、父の病は快癒する。 喜んだ娘たちはたくさんの塩と線香を奉納し、のちには浪人はかつての主家に帰参することも叶い、2人の娘も幸せに暮らしたとのことである。 そして、この親子にあやかりたく信仰を篤くした人々は、娘たちに倣って塩と線香を供えるようになったという。 信仰は今も続いており、毎日信心深い人々の訪れが絶えない。 堂は今日でいう吉敷町4丁目鉄道線路敷地内に祀られていたが、線路拡張のため吉敷町1丁目中仙道沿いに移され、しかしそこで火災に遭い、大正10年(1921年)、現在の吉敷町1丁目に再度移転された。隣に3体の子育て地蔵もある。【Wikipedia】
| 名前 |
塩地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
〒330-0843 埼玉県さいたま市大宮区吉敷町1丁目92−3 |
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大宮宿時代の伝説がある塩地蔵。塩地蔵というとお地蔵さまの身体が塩まみれ(塩漬け)になっているものがよく見られますが、こちらはそんなこともなくケースの中に祀られています。