浅草の久米平内堂、縁結びの神秘。
久米平内堂の特徴
江戸時代前期の剣術家、久米平内を祀る堂です。
縁結びの神様として知られ、珍しいご利益が話題です。
宝蔵門を入った右手に位置する歴史ある平内堂です。
久米平内(くめの へいない)さんは、江戸時代前期の武士、剣術家です。このお堂の中には平内自身を形どった石像が納められているそうです。この石像は、平内が首切り役人とか、刀の試し切りや辻斬りをした浪人だったので、死んでから少しでもその罪が軽くなるように「大勢の人に踏みつけてほしい」と願ったと言うものだそうです。いつしか「踏みつけ」が「文付け(ラブレター)」へと転化し、縁結び信仰の対象となっているそうです。
久米平内(くめのへいない)を祀っているのが久米平内堂です。創建は江戸時代ですが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失、昭和54年(1979)5に再建されました。堂舎には見事な透かし彫りが施され、お堂の中には小さな平内の石像が祀られています。江戸時代より縁結びの神様として人気です。
縁結びの神様がいらっしゃる。
「宝蔵門を入った右手にある久米平内堂は昔から縁結びのご利益があると言われているが、これは勘違いから生まれた珍しいケース。江戸前期、剣に覚えのある久米平内は強請、恐喝、辻斬りなど悪行三昧。後年、その罪滅ぼしに自分の像を道ばたに建て、踏みつけるように願った文句を「文付け」と聞き間違えた人たちによって付け文されるようになり、縁結びの神様になってしまった。」
浅草寺境内の平内堂です。
「宝蔵門を入った右手にある久米平内堂は昔から縁結びのご利益があると言われているが、これは勘違いから生まれた珍しいケース。 江戸前期、剣に覚えのある久米平内は強請、恐喝、辻斬りなど悪行三昧。後年、その罪滅ぼしに自分の像を道ばたに建て、踏みつけるように願った文句を「文付け」と聞き間違えた人たちによって付け文されるようになり、縁結びの神様になってしまった。」
久米平内石像で世に知られた平内堂は、昭和20年(1945)3月の戦災で焼失。現在のお堂は同53年10月浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進したものです。『贈訂武江年表』(東洋文庫)に、平内は天和3年(1683)に没したとあるが、その生涯について諸説があるようです。 平内堂には次のような伝承が。平内は剣の道にすぐれ、多くの人を殺めた。その供養のため、仁王座禅の法を修行し、後年、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこみ、自らの座禅の像を刻ませ、お堂に祀りました。臨終にのぞみ犯した罪を償うため、この像を人通りの多い浅草寺境内に埋め、多くの人に踏んでもらい、その後、お堂に納めたといいます。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸中期以降、特に縁結びの神として庶民の信仰を集めました。なお、平内の墓は文京区海蔵寺にあります。
名前 |
久米平内堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3842-0181 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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はい。生き別れたような恋人に、また会えることを願いました。