雷門で感じる東京の象徴。
雷門の特徴
浅草のシンボルであり、東京の観光スポットの王道です。
雷門の巨大な提灯は、見逃せないランドマークです。
仲見世を通る定番コースが訪れる人々に人気です。
浅草といえばこの雷門。ランドマークとしても有名だし人気スポットです。大きな提灯に、鮮やかな赤が存在感を出しています。両サイドには風神と雷神が祀られております。
着いたのは金曜日のお昼頃です。天気も良かったので、とにかく混んでました。それでも、一度は行きたいと思っていた場所なので行けて良かったです。海外の方が多かったのも印象的です。
雷門は、東京の浅草地区にある象徴的なランドマークであり、多くの観光客に愛されるスポットです。特に大きな赤い提灯は、一度見たら忘れられないインパクトを持っています。雷門をくぐると、仲見世通りが広がり、伝統的な土産物店や食事処が立ち並びます。浅草寺へと続くこの道は、歴史と文化を感じながら散策するのにぴったりの場所です。この場所は常に多くの人で賑わいますが、その活気もまた魅力のひとつ。初めて東京を訪れる人には、一度は訪れてみる価値のある場所としておすすめです。なお、この提灯は一年に一度だけ、三社祭の時のみ、畳まれます。
テレビで見ていたのとイメージが違いました。さすがに街の中にあるので、他のお寺とは賑わい方が違っていました。外国人だらけ?でした。お線香の火がなかなかつかず、何回もトライするもお線香がどんどん折れてしまって、、、湿気ているのか?と思う程でした。
思い出の場所のひとつです。上京したての頃、ここの付近でよくランニングをしていました。今もかわらず落ち着く景色、この先も続いてほしいです。
東京の観光スポットの1つです。大きな提灯は迫力がありますね。コロナが流行る前は人通りもすごくて大変賑わっていました。スカイツリーも見えます。
札幌から東京へ引越した友人を東京巡りといえば?という事で浅草寺を案内しました。コロナ自粛期間の為、時短影響、休業とシャッターが閉まっています。観光客がほとんど居ない夜7時位の時間でした。その代わり夜景としての神社の色合いがとても美しく感じます。感染症対策が無い時期は人の往来も難しいくらい大混雑している名所です。お土産などを求める方は日中がお勧め。
こんなに人がいない雷門はうまれてはじめてでした。人力車の方たちとても親切に写真を撮って下さったりしましたが、きっとお客様がいなくてツラいところなのだと思います。少しでも早く、観光客の方たちが戻って賑やかな浅草になるといいです。仲見世もシャッター街でした。
巨大な提灯。久しぶりに見ましたが、やはりすごい迫力ですね。夜の雷門はライトアップされていて、とても美しいです。
| 名前 |
雷門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3842-0181 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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日本で1番のインバウンド場所。雷門見たさに外人がたくさん居ました。雷門は伝承によると仁王門(現宝蔵門)とともに天慶5年(942年)に安房守平公雅が武蔵守を任ぜられた際に創建されたという言い伝えがある。ただし「雷門」と称されるようになったのは江戸時代のことであり(「風の神 雷門に居候」という川柳が残る)、寛永12年(1635年)の建造をもって創建としている文献もある。江戸時代には幾度となく焼失しており、天明の大飢饉以降は寛政7年(1795年)に再建され、この門は広重の絵などに描かれている。浅草寺教化部によると、雷門に大きな提灯が初めて吊るされたのも寛政5年(1795年)という。最後の火災は1866年(慶応元年12月14日)であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての雷門は姿を消していた。明治年間から太平洋戦争後にかけては、様々な形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。いずれも博覧会の開催や戦勝記念、開帳など、その時々のイベント的な要素が強かった。素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもその都度違った。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。また、恒久門のない時代も雷門は地域名として用いられ、1924年には周辺の町名が「浅草雷門」となったほか、1931年に開業した東武鉄道の駅は当初「浅草雷門駅」と称していた。付近を走行していた市電(後の都電)にも「雷門」電停が設けられていた。現在ある雷門は鉄筋コンクリート造で、1960年5月3日に開通式が行われ、10年ごとに大改修が行われている。再建費用を寄進したのは松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助である。かつて松下の神経痛平癒を祈祷した浅草寺貫首の清水谷恭順が1958年、上京中の松下に協力を依頼し、翌1959年に工事が始まった。大提灯も松下が奉納し、その後も新調されている。なお、風神・雷神像は、火災で焼け残った江戸時代作の頭部に、明治時代に造られた胴体をつなげた像である。