江戸の風情、錦糸公園の稲荷。
千種稲荷神社の特徴
錦糸公園の一角に鎮座する、風情ある小さな稲荷神社です。
江戸前期に創建されたとされ、歴史を感じる神社になっています。
明るく輝く提灯が印象的で、夜のお参りも特別な雰囲気を演出します。
錦糸公園の一角にある小さな稲荷神社です、関東大震災や東京大空襲も逃れた縁起のいい神社みたいです。
錦糸町駅から直ぐの公園の横にあります。手入れも行き届いてます。可愛らしい狛狐様達がおられますよ~
錦糸町公園の入口脇にある神社です。江戸時代、こちらは湿地帯であり荒れた状態でしたが、徳川家綱時代に治水工事が行われ、武家屋敷の敷地になりました。そしてその敷地を利用して商人が幕府から許可を得てお店を開いたり、舟運も盛んに行われた場所だったと言い伝えられてます。
錦糸公園の街路樹の植樹帯というちょっと妙な場所に鎮座されているお稲荷様。門はもともと正面にあったようだが、閉鎖され横の歩道から入るように新しく作ったようだ。実は、この場所にあるのは理由がある。創建の詳細は不明であるが、当社は江戸時代、周囲が武家の下屋敷であった頃から土地の守護神として信仰を集めていたという。明治にはいり、旧陸軍糧秣廠本所倉庫の建設のため社殿を撤去したところ、同倉庫や周囲に火災が頻発するようになる。しかし、撤去した当社を元の位置に再建したところ、火災の発生は収束した。昭和にはいり、陸軍倉庫跡地が錦糸公園として整備され、たくさんの業者がこの地に移り住んだ頃、社殿は再び撤去され、公園内の他の場所に放置された。すると再び町内に火災が多発するようになる。静岡県より来たという行者が「当地に祀られていた神社が、公園建設の際に園内のいずれかに放置されたままになっている」といったため、町内有志が探し出して元の位置に祀ると、やはり火災が収まった。関東大震災や戦時中の空襲であたりが焼け野原になっても、この当社は被害を受けなかったという。
掲示板の縁起を読むに創建は江戸前期頃か。関東大震災や東京大空襲の被害を受けなかったためか,防火・防災の謂れがある様である(なお,当地周辺は空襲の激しかった地域である。)。境内に句碑あり。読むに「千早振る神の御前に額付きて清けき我を見出しにけり(千早振る神能御前尓ぬかづきてさやけき我を見出し尓けり)」とある。意味は「荒々しい神の御前で額を付けて祈ると清々しい自分に気が付く」程度のものだろう。神歌の類いだということが分かる。また境内に宝珠の様な奉納物があり,側面に文字が刻まれている。読むに「此の千種稲荷大明神の顕現……る御神授け得んと欲する者は左の如く願うべし。一、其の願ひたるや自分の病気の癒ること又金持になり或は出世したいと願ふにて即ち立……には……破……出来る力を與へと願ふことこそよ……然らざれば神……御神對に……ふること……」云々とある。当社の参拝方法を指南するものの様であるが,肝心のところが欠損しており,全体的に良く分からない文章になっている。
錦糸公園の敷地内に祀られてます。幟が多くて雰囲気が良い感じですね~
広大な錦糸公園の片隅に静かに佇む神社です。江戸時代、横十間川両岸に武家屋敷が軒を連ねていた頃から守護神として祀られていたそうです。明治時代、旧陸軍の倉庫がここに建設されることになり敷地内にあった社殿を撤去したところ、倉庫や周囲に火災が頻発しするようになりました。そのため撤去したままであった神社を元の位置に再建したところ火災が収まったそうです。関東大震災や太平洋戦争の空襲でも被害を受けず、境内に避難した多くの人命を救いました。
新型コロナウイルスの影響で旅行も行かれず錦糸公園を散歩しようと明るく輝いている提灯が目に入り夜の神社も風情が有ります。次回は日中に寄りたいです。
錦糸公園の入口の端にある小さな神社。お参りしてる人がいました。謂れのありそうな神社。
名前 |
千種稲荷神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

夜にお参りしました。社だけの小さな神社です。錦糸公園の中、🏮の明かりが一際目立つ明かりに光れて行きました😅正一位稲荷ってなってますね😅由緒正しい神社なんでしょう。歴史を調べるのも楽しいかも🎵