江戸時代の人情、末廣寄席で。
人形町末廣跡の特徴
人形町末廣跡は、1867年に創業した伝説の落語寄席です。
江戸時代の元吉原跡地に位置し、歴史的な雰囲気を楽しめます。
落語百川に登場する三光新道の近くにあり、文化的なアクセス良好です。
落語「百川」に出てくる「三光新道」がちょっと北にあります。人形町末廣は、まさにリアルな落語の世界に立地していました。
人形町末廣という寄席の跡地です。現在もある新宿末廣亭とはなんの関係もありません。跡地といっても、会社のビルの入口近くの、しかも足元に『寄席人形町末広跡』と書かれた石碑が埋め込まれているだけです。それ以外の見所はありません。人形町末廣は1867年(慶応3年)に創業。その後、関東大震災で被災し再建したものの、映画やテレビ等の新しい娯楽に客を奪われ経営不振となり、開業103年目の1970年に閉場。江戸時代以来の客席がすべて畳敷きの落語定席としては最後の存在だったそうです。
幕末から 103年間人形町末広として多くの人に親しまれる落語寄席でした。客席がすべて畳敷というのが特徴でした、とあります。
東京の寄席はもう数件しか残っていないが、もっと定席があれば、テレビじゃないところで力をつけた噺家や芸人が生まれる余地があったのではないかと残念。いまここに立ったとて、もう当時を偲ぶなんの手がかりもないけれど。新宿の末広とは、経営等、関係ないそうである。
1867年創業。1970年廃業。江戸から昭和にかけて東京を代表する寄席があった跡地です。現在はビルが建っていて面影はありませんが、数年前から年1回寄席が開かれています。
| 名前 |
人形町末廣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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このあたりは、江戸時代初期の元和三年〜明暦三年(1617〜1657)の40年間、吉原でした(=元吉原)。その名残りで、以前は芳町と呼ばれていて、いまでも「芳」の字を冠した芳味亭なんておしゃれな洋風レストランがあります。その後、吉原は浅草に移転していきます(=新吉原)。そして、江戸末期の慶応三年(1867)、ここに寄席「末廣亭」が創業しました。昭和45年(1970)閉場。