増上寺の貴重な水盤舎。
水盤舎( 増上寺御霊屋)の特徴
増上寺三門からすぐ左、静けさの中で訪問者を迎える水盤舎です。
徳川綱重の霊廟に由来する貴重な建物として知られています。
参拝者が清めるための手水舎としての役割を果たしています。
徳川家の霊廟の焼け残りという、貴重な建物です。
増上寺の手水舎。
徳川霊廟の焼け残ったもの。朱塗りは、剥げ落ちたところが目につく。
増上寺三門より参道を通り左手に普通「手水舎」と呼ばれる「水盤舎」が在り、訪れる参拝者の身を清める。元々は本堂裏手にあった、甲府宰相と呼ばれた徳川綱重の霊廟・清揚院殿に置かれていたが、昭和の第二次世界大戦東京大空襲において消失、この水盤舎のみ残った。
増上寺の三解脱門を抜けてすぐ左側にあります。普通、手水舎と言うのが増上寺では水盤舎と呼ばれています。もとは清揚院殿「三代将軍家光の三男、甲府宰相綱重」の御霊屋にありました。綱重は始めは小石川伝通院に埋葬され、家宣の代になって増上寺に改装されたそう。御霊屋は増上寺の本堂裏手に営まれていましたが、第二世界大戦の空襲でほとんど焼失。この水盤舎は綱重の御霊屋で現存する唯一の建物で、徳川家霊廟の建築物として現存する数少ない遺構だとのことです。増上寺の建物は戦争で焼失で新しい建物が多いので、この水盤舎はとても重みを感じます。
増上寺の水盤舎。
手と口を清めます。
| 名前 |
水盤舎( 増上寺御霊屋) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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元々は本堂裏手にあった甲府宰相徳川綱重の霊廟・清揚院殿に置かれていましたが、明治時代の解体や東京大空襲を逃れここに移築されました。今は無き徳川将軍家霊廟建築を今に伝える貴重な遺構です。港区文化財に指定されています。