江戸名所図会に触れる町へ。
斎藤月岑居宅跡の特徴
斎藤月岑は江戸を代表する文化人で、名主としての歴史があります。
江戸名所図会を完成させた文化的な足跡が残されている史跡です。
町名主や町奉行の役割を理解する資料として重要な場所となっています。
石碑があるだけです。
誰?と思って調べてみたら・・・斎藤月岑は、文化元年(1804)にこの地(神田司町二丁目)で生まれました。斎藤家は代々、神田の雉子町・三河町三丁目・同裏町・三河町四丁目・同裏町・四軒町の六ヶ町を支配する名主でした。15歳で家督を継ぎ、九代目・市左衛門と称し、実名を幸成といいました。祖父幸雄・父幸孝が手がけた大書「江戸名所図会」を完成させたほか、「東都歳事記」・「武江年表」など、今日、江戸の町人文化を研究する上で欠くことのできない多くの著作を残しています。「江戸名所図会」は江戸とその近郊の神社、仏閣。名所、旧跡の由来や故事などを絵入りで説明したものですが、江戸研究にはなくてはならない貴重な書物です。斎藤月岑は江戸を代表する文化人であり、神田の誇りでもあるのです。なお、記念碑は、旧江戸城外濠の石垣の石が使われています。とありました。
斎藤月岑はこの辺りの名主さんで、江戸名所図会などを完成させた江戸を代表する文化人とのこと。
| 名前 |
斎藤月岑居宅跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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江戸の草創名主の一人江戸時代の江戸市中は3人の町年寄(奈良屋・樽屋・喜多村)がトップでその指揮下で町名主が支配する町での司法・行政を司る町奉行は総責任者としているが普段は町の司法・行政には関わらない町名主には草創名主(家康入府以前からの江戸町人)古町名主(家康入府後に出来た町)、平名主(江戸市中が拡大するにあたり新設された町)があり寺社奉行支配下の門前町には門前名主(江戸の町人身分ではない)がいた。草創名主と古町名主は年始の挨拶や将軍家代替わり時に江戸城に登城する資格を持つ斎藤月岑は三河町や司町など江戸中心地の名主であり三伝馬町名主などと草創名主の中でも格別な格式私の先祖は錦小路に屋敷のある武家だったが付き合いもあり日記に登場する千代田区の恩人の一人。