パール博士の碑で真実を知る。
パール博士顕彰碑の特徴
極東軍事裁判で日本の無罪を主張したパール博士の顕彰碑です。
2005年に建立された顕彰碑で、多くの訪問者が感謝を捧げに来る場所です。
日本人が歴史を考えるきっかけを提供する重要な石碑です。
極東軍事裁判法廷で日本の被告無罪を唱えたインド人判事、戦勝国の報復目的も有った様ですがそうすると昭和天皇の戦争責任が。靖国神社海防艦顕彰碑の左側。
ラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑です。極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判において連合国(戦勝国)が派遣した判事の一人にして国際法学者。判事全員一致の有罪判決を目指す動きの中で、それは国際法に反する、との理由で被告人全員の無罪を主張した意見書(パール判決書)を提出した事で知られる。2007年8月23日、インドを訪問した安倍晋三首相(当時)がパール博士の子息らと面会したというニュースは記憶に新しい。
2023.9 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事の1人。戦勝国側によって作られた事後法(平和に対する罪、人道に対する罪)によって、敗戦国の被告団を裁く事が、当時の国際法に反するとし、被告団に対して「全員無罪」との意見書を提出した事で知られている。この顕彰碑は、遊就館の旧入口を正面に見て、左側にある。
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁にはまた理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁にはその時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう。この方についてここで初めて知りました。銅像の多い中、遠目に目立つドヤ顔。首の角度が大切なようです。
日本人ならこの方が何を訴えたかったのかを自分の手で調べて、自分の頭で考える必要があります。
前回訪れた際に、10分ほど頭を垂れつつ感謝を申し上げてきました。歴史を学び、日本人の民族性を考えるときに、先の戦争(大東亜戦争)とそれ以前の日本人が、周辺国が叫ぶような悪の権化であったとは思えません。もちろん、生死に臨む場面が多くありましたので、やんちゃな面(人)はあったのだろうと思います。また、イデオロギーの戦いの側面もありましたので、プロパンダ合戦になった面もあるようにも。でも、全体として観た時に、日本の精神性の高さは維持されていたように思います。そして現在、周辺諸国に対しては、厭くまで史実ベースで、丁寧に説明をしていくしかないのだろうと。そうした点を考えながら、客観的な事実と法に照らしてご判断・ご主張された判事には感謝せずにいられません。その正義と勇気に、感動、感謝せずにはいられません。
かの有名なパール判事の石碑。立ち止まって読み耽ってしまいました。
極東軍事裁判で、唯一まともだったパール博士、この方に足を向けて眠れません。
パール博士のことを知ったのは10年ほど前のこと。インターネットの普及が、教育と新聞とテレビが教えてこなかった歴史を知るきっかけ与えてくれました。忘れ去ってはいけない歴史や、伝え続けなければならないことを教えてくれました。パール博士の碑の前で、そっと掌を合わせます。
名前 |
パール博士顕彰碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3261-8326 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.7 |
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大東亜戦争を正当に公正に審査した唯一の法律家です。もっと日本人はこの事実を知るべきです。教科書に載せて義務教育で教えなければいけません。