大漁安全を祈願する水神社。
魚河岸水神社の特徴
魚河岸水神社は、徳川家康公と漁師たちによる大漁祈願の歴史があります。
神田明神内の末社であり、弥都波能売命を祀っています。
定期的な祭礼日は5月5日、特有の波を感じる静かな社です。
神田明神の境内にある魚河岸の人たちが建てた神社です。元は日本橋にありましたが、神田明神に合祀されたそうです。
水神の神輿は20年ぶりらしい。今日の雨は水神様の祝福かな?
御本殿の横にある「魚河岸水神社」は神田神社境内にある末社で、ご祭神は弥都波能売命(みつはのめのみこと)、祭礼日は 5月5日です。神田明神のHPによれば『末社 魚河岸水神社祭神 水神、弥都波能売命(みつはのめのみこと)日本橋に魚市場があったころに徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・大市場交易神として神田明神境内に祀られたが、明治6年(1873)9月に当時の魚市場内(日本橋長浜町2丁目4番地、現在の日本橋室町1丁目、本町1丁目周辺)に鎮座していた常磐稲荷神社の合殿に祀られた。明治24年(1891)に社名を魚河岸水神社と改め、更に明治34年(1901)9月、再び神田明神境内に遷座し末社として祀られ、盛大に水神祭が執り行われた。市場が日本橋より築地に移り築地魚市場(東京都中央卸売市場築地市場)に移転した後、市場内に当社の遙拝所が建立され、現在も築地魚河岸会の方々を中心に神事が執り行われている。』と書かれています。
神田明神内にある、小さな神社の一つです。こちらの方は、あまり参拝者はいらっしゃれないようですが、魚河岸というだけあって、海産物の大漁と徳川家武運長久を願って祀られていた神社のようです。
日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座されました。元和年間、神田神社と共に此の地に遷り、明治24年、魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されています。
神田明神の摂社の一つ。狛犬の顔が強そうだ。
波🌊(もしくは鱗🐟?)をデザインした柵が特徴的でとても気に入りました。「魚可゛し」と勢いよく金字で書かれた水桶も凝っていて素敵です(「し」がマルになっているのが見事)。魚河岸の人たちの活気や粋、洒落っ気を感じさせる社殿でした。
東京の神田神社(神田明神)の境内のなか、本殿に向かって左手に小さな社が並んでいます。奥にあるのが江戸神社。ガラス戸の向こうに大きな神輿が納められているのが見えます。その手前に八雲神社と記された社が二つ並んであります。向かって左には小舟町と記された天水桶がある小舟町八雲神社。右には大傳馬町(大伝馬)と記された天水桶がある大伝馬町八雲神社です。そして最も手前にあるのが魚河岸水神社です。魚河岸の守り神で日本橋魚河岸を開いたといわれる森孫右衛門一族が、現在の大手町に祀った「大市場交易神」が、慶長年間に神田明神境内に社殿を設けたことが始まりで、元和年間に神田神社とともに現在の地に移り、明治24年(1891年)に魚河岸水神社と名を改められたそうです。朱色の社殿には魚河岸水神社の神社名の代わりに「水神(右から)」と彫られた木の板が掲げられ、社殿の脇には立派な黒塗りの水桶が置かれています。
神田明神の中にあります。
| 名前 |
魚河岸水神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3254-0753 |
| HP |
http://www.kandamyoujin.or.jp/info/keidai/detail.html?kid=27 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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御祭神:\t弥都波能売命由来:魚河岸水神社は、天正18年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命」を祀った「大市場交易神」がはじまりです。明治34年に神田神社の境内に「水神社」本殿を建立し、遥拝所が市場内に建立されました。