伝馬町牢屋敷跡の歴史を歩く。
伝馬町牢屋敷跡 (都指定文化財 旧跡)の特徴
小伝馬町駅から徒歩3分、歴史を感じるスポットです。
江戸時代に存在した囚人収容施設の跡地を見学できます。
ドラマ仁にも登場した伝馬町牢屋敷跡の歴史的意義。
周辺一帯が牢屋敷跡で、慶長年間に設置されたもの吉田松陰らも収容され1857年に刑死しました十思公園に「松陰先生終焉之地」の碑があります。
⭐️日比谷線/小伝馬町駅から徒歩3分に、時代劇や歴史小説に出てくる「伝馬町牢屋敷」、一番記憶にあるのは漫画「竜馬が行く」で松下村塾の塾生たちが、吉田松陰の屍を引き取りに行く場面(記憶が正しければ………)⁉️司馬遼太郎『世に棲む日日』ですね📖⭐️江戸幕府誕生した慶長年間の1600年頃から明治初期まで約270年間、十思公園~大安楽寺一帯の約2600坪、江戸城下の町中で日本橋からも比較的近いと実感🤔
お昼頃に伺いました。時を経て今はお弁当スポットになっています。吉田松陰に思いを馳せられます。お寺の自家用車はちゃんとした駐車場にとめたら?とおもいました。
十思公園にある吉田松陰終焉之地(伝馬町牢屋敷跡)には、銅鐘石町時の鐘/吉田松陰先生の石碑が有ります。
江戸時代に、あったことが、今も残っている、😌
十思とは昔の中国の資料にある十の心得からきているそうで「じっし」とよむ。公園名は公園のとなりにあった元十思小学校の名前からきている。牢屋は道を挟んだ十思公園と元十思小学校の敷地にあった。(写真)公園には日本橋室町にあった「時の鐘」が移設されている。公園内には吉田松陰の辞世の句の彫られた石碑がある。(写真)墓は荒川区内の小塚原回向院にある。(写真)回向院にある吉田松陰の墓(奥)(写真)元十思小学校脇には牢屋敷の石垣が置いてある。(写真)牢屋敷は周りを石垣で囲まれ、そとには堀があったそうだ。
史跡を埋没させずに少しでも残すところに意味があると思いました。
伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)は、かつて江戸に存在した囚人などを収容した施設である。現在はその一部が東京都中央区立十思公園になっている。江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず、伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設である。所在地は日本橋小伝馬町(現在の日比谷線小伝馬町駅周辺)一帯に設置され、2618坪(約8639平方メートル)の広さがあった。常盤橋外に牢屋敷にあたる施設が設けられたのは天正年間。それが慶長年間に小伝馬町に移って来たようである。明治8年(1875年)に市ヶ谷監獄が設置されるまで使用された。周辺は煉塀で囲まれ、堀が巡らされており、南西部に表門、北東部に不浄門が設けられていた。高野長英や吉田松陰らも収容されていた。
沢山の人間が囚われ処刑された場所だと思うとぞくぞくしました。場所は公園になっていて子供達が遊び回りほのぼのしております。
| 名前 |
伝馬町牢屋敷跡 (都指定文化財 旧跡) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3551-2167 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/tokyobunkazai/royashiki.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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近所に宿泊する機会があり、観光場所を探していたらたまたま近くにあり訪問。私は山口県在住なので、とても縁を感じました。今こうして平和な暮らしができていること、改めて時代を創ってくださった先人方に感謝です。