江戸三十三観音に寄り添う大安楽寺。
新高野山 大安楽寺(高野山真言宗 準別格本山)の特徴
江戸時代の罪人処刑場跡に建つお寺です。
高倉喜八郎と安田善次郎の寄進により創建された。
十思公園の前に位置し、静寂な雰囲気でお参りできます。
移動の途中で、よったものです。歴史を紐解くと、江戸時代の処刑場の場所とのこと。咎人の慰霊のために作られて寺院らしいです。
江戸三十三観世音巡りで拝観しました。第5番札所です。読経のあと、御朱印をいただきました。御朱印をどこにお願いするか、周りを大分見回しました。本堂右手の奥、大扉ではない方の玄関扉の右脇にインターホンがあり、そちらに「納経のかたはこちら」と慎ましやかに書いてありましたので、意を決して(笑)押しました。15時半過ぎと少し遅めの時間でしたが、とても丁寧に対応していただきました。お納めは500円でした。
塀に挟まれた石碑に「江戸伝馬町処刑場跡」の赤い文字が気になる 大安楽寺さんです。井戸巡りで立ち寄ったのですが、江戸伝馬町牢井戸跡があるけど、目立たないのでちょっと探しちゃいました。境内には延命地蔵さまや宝安稲荷様、江戸八臂弁財天さまがおられます。弁天様と言えば白蛇様ですが、こちらの蛇石様パワーが強いようで怖いので水掛せず、ご挨拶の参拝のみにしました。大安楽寺さんご縁起によれば、大倉喜八郎と安田善次郎が、誰も住み着かなかった牢屋敷跡のこの地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建したそうです。高野山より弘法大師の像を遷座したことに因み高野山の準別格本山で新高野山と号したそうです。江戸三十三観音霊場の5番札所です。
小伝馬町牢屋敷は、ここの大安楽寺、お隣の身延別院、手前の十思公園や十思スクエア辺りとされています。特に、大安楽寺境内が処刑場のあった場所と云われています。この処刑場が吉田松陰先生の亡くなった場所です。大倉財閥の創始者の「大倉喜八郎」と安田財閥の祖の「安田善次郎」らの寄進を受け創建され、寺名は大倉の「大」と安田の「安」に由来しています。実は、明治維新後も、伝馬町牢屋敷は監獄として利用され、明治8年になって市谷へ監獄が移されます。その空き地に、処刑場で亡くなった人々の慰霊のため、創建されたお寺です。境内には、伝馬町牢屋敷の跡を記す「延命地蔵尊」等が残されています。歴史小説でよく出てくる「小伝馬町牢屋敷」ですが、牢屋敷というよりも、刑を執行されるまでの拘留の場所でもあり、多くの方が亡くなった場所と思うと、自然と頭が下がります。
明治8年(1875年)、実業家の大倉喜八郎、安田善次郎(芙蓉グループの系譜)らの寄進を受けて創建されており、寺号は二人の名前に由来しています。かつては伝馬町牢屋敷の一部であった。
東京メトロ・日比谷線 小伝馬町駅すぐ近く。江戸時代に牢屋敷があった場所とは思えないような所です。
伝馬町処刑場跡に建つ寺。小塚原ほど陰鬱な空気に包まれていないがそれでも処刑場跡との前知識のせいか重い空気に感じてしまう。刑死者を弔う場所に真言宗の寺院とは意外だった。
駅から本当すぐのところにちゃんとした寺院があるとは驚きです。お寺の隣に家があり、そこで頼めば御朱印をいただけたかもですが、ちょっと声をかけづらい雰囲気だったのでやめました。
江戸時代には伝馬町の牢屋敷があり、安政の大獄の舞台であった地に明治8年に大倉喜八郎と安田善次郎の寄進により創建された。寺院としては比較的新しい。寺院の名称「大安楽」は大倉と安田の頭文字からとられている。境内には伝馬町牢屋敷の柱の土台の石が残っているなど歴史の凝縮された所である。
名前 |
新高野山 大安楽寺(高野山真言宗 準別格本山) |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3661-4624 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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伝馬町処刑地の隣にあるお寺。やはり処刑された人を弔ったようです。寄進された田中さんご夫妻とは徳のあるご夫妻なんでしょうね。