明治の洋館で歴史散策を楽しもう。
雑司が谷旧宣教師館の特徴
明治40年に建てられた珍しい近代木造洋館です。
明治時代の時代背景が学べる資料館として貴重な場所です。
白壁と緑の窓枠が美しい、静かな環境での見学が楽しめます。
明治40年(1907年)に、アメリカ人宣教師のマッケーレブ氏が住居用に建てた建物で、パンフレットの解説によると、豊島区に現存する最も古い近代木造洋風建築物なのだそうです。各所に当時の日本には見られない様式が見受けられます。天井の高さも高く、天井は格子を意識した和洋折衷の趣きで、レトロ感抜群です。各フロアは3室がT字型に配置されています。また、各部屋に設けられた暖炉は3基が背中合わせの状態で据え付けられており、排気ルートを上方へ1本化するなどの工夫も確認できます。固いことを言わずに、内装はこの馴染み薄い様式美を堪能し、外観は季節が織りなす草花との眺めを楽しむだけでも、来た甲斐は十分にありそうです。最後に注意点を。来館当日は炎天下で気温が高かったです。当然ですが、館内に壁掛けエアコンといった無粋な設備は無くて、代わりに業務用のスポットエアコンが数か所に配置されていました。どれもフル稼働していましたが、排気が必要なため各窓は半開の状態に。見学の間は、終始うっすらと額に汗がにじむ状態でした。
白い外壁に緑の窓枠が美しい洋館でした。可愛いチリアヤメの花たちが庭一面に咲いていて癒されました。
雑司ヶ谷、護国寺駅から徒歩10分くらい。住宅街の中にひっそり佇んでいる。建物の内外の意匠はとってもシンプル。排煙の効率化のために建物の中心部に暖炉を集めたため、それを取り巻くように寝室、書斎、居間、食堂、広縁が配置されている。ただ、窓の桟、天井の割竹、ドレスの裾のように張り出した外壁など、ちょっとしたデザインの遊び心が楽しい。庭にはベンチもあり、憩いの時間を過ごすのも良い。無料でもあり、近くに来たらぜひ立ち寄って欲しい。
明治時代の洋館を無料で拝見し出来る事はいろいろ見れて必見です🤗。尚真夏の館内は小さいファンが各所で回っているも、蒸し風呂なので暑さ苦手な方は時期をずらした方が良いかと。私は猛暑外気温37℃の日に行ったが、館内から外に出ると涼しく感じた(苦笑)・・から判ると思います😅。
明治末期に作られた木造の2階建ての宣教師館。アメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てた。マッケーレブは青年のための「雑司ヶ谷学院」をこの建物の隣に開校。日本の近代化を目指すインテリたちの間で有名になり、徳富蘆花など、芸術家や財界人の出入りも多かった。太平洋戦争により米国へ帰国を余儀なくされる昭和16年までの35年間にわたって居住した。
インナーバルコニーの様なガラス張りの明るい廊下が素敵。また、家の中央にある暖炉が今で言うセントラルヒーティングの様な作りでとても興味深かったです。それにこの当時に2階にお風呂があった事も凄いなぁと。庭も綺麗に手入れがされていて、とても気持ちよく見学でしました。無料で見学出来ます。
✿知る人ぞ知る穴場史跡✿東京メトロ街めぐりスタンプラリーで訪れました(^^)模型が楽しめます。建物中央にある煙突と暖炉のシステマティックな事に驚きました。全館空調の先駆けですね。
タイムスリップしたかのように思える、とってもいい場所です。無料で入れます。外にあるトイレも綺麗でした。たまたまおばあちゃんの読み聞かせが始まったので、聞かせていただきました😊Googleマップの案内に従うと入口の反対側に着いてしまうので、注意です!ピンク?に舗装されている道に入ると良いです。
真っ白い壁面に鮮やかな緑で縁取られコントラストが美しい、近代木造洋館。この建物の前の道はレンガ色で旧宣教師館通り。暖房が1.2階共に3部屋を暖める設計になっていて合理性を感じる。広緣に配した木造の茶色の階段や、広緣に下がる暖色の電球に暖かみがある。明治時代の末、1907年建築。アメリカでは一般住宅に見られた家だという。良く手入れされていて、今のこの美しさがあるのだろう。
名前 |
雑司が谷旧宣教師館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
03-3985-4081 |
住所 |
|
HP |
https://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kyusenkyoshikan/004412.html |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

雑司ヶ谷は、よく訪れているのですが、いつも用事を済ませてすぐに帰るので、ここを訪れるのは初めてです。霊園の裏手の住宅が建ち並ぶ所の中で、ここら辺は分かりにくいです。訪れたのは、平日の昼間。訪問者は私、1人でした。東京都がよく管理しておられて、どこも非常に綺麗です。窓から入る優しい光に癒されながら、ここに住んでいた宣教師の歴史のビデオを見ました。宣教師のマッケーレブさんは、ここを起点として宣教活動をするのですが、かなり苦労があったようです。何回も日本人に騙されて、それでも貧しい中でも、それでも宣教を続けられたそうです。マッケーレブさんが貧しいと言っても、このお家を見ると、明治時代の日本人からしたら、すごくお金持ちに見えた事でしょう。いや、今の時代でもこのお家はすごいですけどね。最近、私は宗教とは何かと考えます。どんなに苦しくても棄教しなかった人々の歴史を考えながら、一時を過ごしました。管理の方がすぐそばにおられるようで、私が行った時も庭の手入れをなさってていました。庭はこじんまりしていますが、ここもよく手入れされています。