八百屋お七の恋、歴史を感じる井戸。
お七の井戸の特徴
目黒雅叙園の入口に位置する歴史ある井戸です。
江戸時代の恋物語が息づく場所で、思いを馳せることができます。
八百屋のお七にまつわる史実が伝わる遺構です。
ひっそりと佇む遺構で、史実と伝聞とが入り混じっているから、これが本当なのか性急に判断することは控えられるわけですけれども、江戸時代に思いを寄せる良いきっかけになっています。すぐそばには歴史ある大圓寺さんがあります。
有名な 八百屋お七 に 関連の井戸目黒雅叙園の 入口に あります。
お七の恋人が念仏行に出る前にここで水垢離をとったそうな。
「お七の井戸」です。ホテル雅叙園東京の駐車場入り口あたりにポツンとあります。井原西鶴『好色五人女』で有名な「振袖火事」の放火犯ですね。実際は戯作(小説)のような大火事ではなくボヤだったそうですが、罪状は一緒です。八百屋お七の思い人だった吉三(圓乗寺の小姓 生田庄之助)は、お七が処刑された後に僧侶 西運となり、お七の菩提を念じながら水垢離をした井戸がこの「お七の井戸」だそうです。もともと井戸があったはずの明王院の敷地は、雅叙園の一部になっており、井戸枠だけを史跡として残した状態です。中に水は無いです。
目黒雅叙園ホテルの目の前にある。八百屋お七は、火事の現場で出会った男の人にもう一度会いたさに放火をしてしまう。捕まり死罪になるが、当時の江戸の人は、その哀れさを感じたのであろうか、都内のいろいろなところにお七ゆかりの史跡がある。当の男の人は、付近のお寺と浅草寺の間を供養のため往復したらしい。
八百屋のお七にまつわる井戸。行人坂下のホテル雅叙園東京の入口にある。行人坂の途中にある大圓寺には、お七の井戸にまつわる更に詳しい説明書きがある。八百屋の娘お七が、火事で避難した先で、寺小姓の吉三に恋をし、会いたいが故に乱心し放火してしまう。当時、放火は火あぶりの大罪で、その結果、お七は江戸中引き廻しの上、火刑に処される。吉三は西運と名を改め、お七の菩提を弔うため念仏を唱えながら巡礼行脚をし、その後、お七は成仏したという。
八百屋お七で知られる井戸。
目黒駅から徒歩で5~6分で、雅叙園の入口にある。演目で有名な八百やお七は、恋こがれた寺小姓吉三に会いたくて自宅に放火し、鈴ヶ森刑場所で火炙りの刑に処された。吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げ、この井戸で水垢離を行ったと云われている。
八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園に架け明治13年頃まであった。この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。
名前 |
お七の井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

嘗て恋人であった八百屋のお七が鈴ヶ森刑場で刑死し、その菩提をこの井戸で弔っていたと伝わる。