小杉陣屋で味わう歴史の静謐。
小杉陣屋説明板の特徴
二ヶ領用水建設の歴史が詰まった小杉陣屋です。
江戸時代の多摩川周辺の歴史を感じられる場所です。
住宅地にひっそりと残る貴重な史跡です。
今では住宅地の路地にひっそり保存。二ヶ領用水建設のための陣屋があった場所として保存されている。古道でもある中原街道沿いには、なかなか興味深い箇所がある。
東急 新丸子駅より徒歩で12~13分要す。徳川家康の命により、1597年に代官 小泉次大夫によって稲毛・川崎と世田谷・六郷の合せて四ケ領に及ぶ用水路掘削工事の際、小杉と狛江にそれぞれ「陣屋」を設けた。小杉の陣屋は「小泉陣屋」後に「小杉陣屋」と呼ばれるようになったそうです。喜多見には次大夫堀公園も有る。
小杉御殿の建設などが行われた徳川家康の治世当初において、多摩川周辺の土地は非常に生産性の低い状態でした。水辺でありながら水利が悪く、草地や荒地ばかりの中に小さい集落が点在しているのみだったようです。米の増産に取り組んでいた家康は江戸近郊の各地で新田開発を計画しますが、それにあたって多摩川からの農業用用水路の敷設を進言し、用水奉行を任されたのが小泉次大夫でした。次大夫によって川崎市内に敷設されたのが二ヶ領用水であり、その拠点となったのが小杉陣屋です。「陣屋」とは、江戸時代において各藩の藩庁が置かれた屋敷か、または幕府直轄領の代官の住居・役所のことを指します。小泉次大夫は旗本代官ですので、次大夫の陣屋は後者ということになります。小泉次大夫は、1597年より、多摩川両岸の用水路建設に着手しましたが、完成までに14年を要する難工事となっています。陣屋は川崎側の小杉陣屋だけでなく、江戸側の狛江にも設けられ、次大夫が各地の現場で指揮を取って完成にこぎつけました。現在は小杉陣屋の跡地で祠しかありませんがその名前は現在の地名である「小杉陣屋町」として残されています。徳川家康の作った小杉御殿の名前を残す「小杉御殿町」と同様で、中原街道沿いに隣接した2つの地名が、地域の歴史を今に伝えています。
小さなお社があるだけです。
住宅街の中、なんとか保存している感じでした。
祠と説明があるだけです。
名前 |
小杉陣屋説明板 |
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ジャンル |
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電話番号 |
044-200-2029 |
住所 |
〒211-0062 神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町2丁目10 |
HP | |
評価 |
3.6 |
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二ヶ領用水を建設するための拠点が「小杉陣屋」です。この「陣屋」には、徳川家康により二ヶ領用水建設を命じられた「小泉次大夫」が実際に居た陣屋跡と言われています。二ヶ領用水や六号用水が開かれるまでは、この辺りは水辺でありながら農業用水に困っていました。用水が築かれたことで農業生産力が大きく改善され人々の生活も豊になりました。そうした大きな功績があったこの地には「小杉陣屋町」の地名が今でも残されています。ここには小さな祠しかありませんが、功績の大きさは十分に伝わってきます。また、小杉陣屋があった関係で、この隣の地に2第将軍の徳川秀忠が「小杉御殿」を築くことにも繋がっていきました。この小さな祠が「小杉陣屋」と「小杉御殿」の歴史的な重みを伝えてくれます。