新田義興公を祀る十寄神社。
十寄神社の特徴
鮮やかな朱色の社殿が特徴で、遠くからでも目立ちます。
新田義興公とその従者を祀る歴史深い神社です。
多摩川七福神巡りの一環として訪れることができます。
鮮やかな朱色の社殿が遠目にも目立つ。內部も外観に負けず劣らずに華やかだ。多摩川七福神の毘沙門担当なのはこれ以上無い適役だろう。由緒書きの情報量は多く素晴らしい。
十寄神社は、新田義興公が正平13年(1358)矢口の渡で主従ともども憤死、従者らの忠烈を崇め村老らが墳墓を築き創建したと伝えられます。新田義興公の従者数は十騎で、十寄と号したことから神社名となったとされます。境内社として十騎神社もあります。主君の新田義興を祀る新田神社は、十寄神社の北方数百メートルの場所にあり、両神社は関連があることから、まず十寄神社に詣でてから、新田神社を参拝するのが良いという言い伝えがあるそうです。狛犬は古いものでしたが、社殿は台座も含めて近年の再建のようでピカピカです。
畠山国清の名にて竹沢右京亮(うきょうのすけ)・江戸遠江守(とおとうみのかみ)らの奸計により矢口渡にて命を落とした新田義興とその家来が祀られている神社。御祭神は新田義興命の他に10人の家来、世良田右馬助義周命、井伊弾正左衛門直秀命、大嶋周防守義遠命、由良兵庫助命、由良新左衛門命、進藤孫六左衛門命、堺壱岐権守命、土肥三郎左衛門命、南瀬口六郎命、市河五郎命。徳川家の祖先が新田家に繋がるため新田神社と共に参拝される様に。因みに、狛犬の下に描かれている家紋は大中黒で新田氏の家紋になります。十寄神社と毘沙門天はどの様な関係かと気になりますが、これは2014年から始まった町おこしから関係が始まりました。
多摩川七福神巡りの神社です。とても狭い所でした。毘沙門天さんを祀っている神社です。お正月以外には御朱印貰えないそうです。
街中の小さな神社です駐車場の奥にあります。
多摩川七福神巡り 毘沙門天。
新田義興伝説。狛犬がうちのジャーマンスピッツに似ているのだ。
住宅に囲まれており、ちょっと分かりにくいです。
江戸時代までは「十騎社」(じっきのやしろ)あるいは「登与瀬明神」(とよせみょうじん)と称されていたようです。由緒は、参道左側にある説明板に記されているように、新田義興公の家臣十人の霊を祀ることにあります。創建当初から、本社は一堆の塚のみで拝殿だけが設けられていたようです。今は住宅地にもなって、その面影を見ることができませんが、これも時代の趨勢というもので仕方がありませんね。太平記では、井弾正忠、大島周防守、南瀬口六郎、由良兵庫助、由良新左衛門、良田右馬助、市川五郎、土肥三郎左衛門の8人の名しか出ていませんが、異本には、松田与市、宍道孫七、堺壱岐権守、進藤孫六左衛門の名が出てきています。古文書では他にこう記されています。「日本武尊の祠、傍にあり。上古は奥州への街道にして、日本武尊東夷征伐のとき、ここにて矢合はせしたまひし旧跡なりといふ(矢口の地名も、このことによりておこるといふ。六郷の川を隔てて稲毛の地に矢向という邑名あり。これも、そのときの矢の向かひたる地ゆゑにいふとなり。」と、地名の由来もこの「十騎社」を調べたお陰で知ることができました。自己満足ではありますが、だから歴史探訪は楽しいのです。ご興味のある方、お出掛けください。
| 名前 |
十寄神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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大事にされている神社です。