大田区の静寂に佇む、大森貝塚の碑。
大森貝墟の碑の特徴
大田区の京浜東北線脇に位置する大森貝塚の碑です。
JR大森駅から300m北の池上通りに面する記念碑です。
モース博士が1877年に発見した大森貝塚の歴史的な場所です。
モース博士が大森貝塚を発見した場所が長いこと、品川区であったのか大田区であったのかわからなかったそうなのですが、文献資料から品川区であったことが判明しています。それまで、大田区と品川区で記念碑が両方建てられていました。こちらは大田区の記念碑で、京浜東北線の車窓から見えます。大森駅山王口を出て大井町方向へ歩くとすぐにあります。ビルとビルの間にたたずんでいます。子供たちは、碑を見るより京浜東北線や東海道線の通過する迫力に興味津々でした。
大田区の京浜東北線脇にある石碑になります。NTTビル横から入り、やや階段で下っていった場所に石碑があるため、気を付けて見ていないと見逃してしまいそうです。品川区にも同じような碑がありますが、こちらの碑も狭いスペースにどっしりと建っていいてとても迫力があります。昭和5年4月に建てられたとあります。
大田区にある『史跡大森貝塚』です。ここは石碑のみで、実際の貝塚は徒歩3分の品川区内にあります。見学は9時から17時までとなっています。
JR大森駅から300mほど北側、池上通り(都道421号)に面して記念碑が並んでいます。大森貝墟の碑の刻字は「我国初之發見」「大森貝墟」明治10年(1877年)、貝類の研究者だったモース博士が標本採集のため米国から来日、39歳の誕生日に横浜に上陸し、翌日、新橋に向かう汽車の車窓から、崖面に白い貝殻層を発見したと言われているのが「大森貝塚」です。大森貝塚における発掘調査は、我が国に「科学的」な考古学や人類学を成立させました。ちなみに、モースは25歳の誕生日に結婚しており、彼は人生の大事な節目を迎える日には自身の誕生日を選んでいたように思えます。貝塚は、ちょうど大田区と品川区の区界が近く、両区に、それぞれ記念碑が建立されています(「大森貝墟」は大田区側)。モースの報告書には明確な位置が記載されていなかったために、当初は発掘場所が判然としなかったのですが、昭和59年(1984年)までの調査から、現品川区内の土地における調査を裏付ける資料が見つかり、また、品川区方からは貝層が見つかったにも関わらず大田区方からは見つからなかったことから、品川区側が有力視されています。しかし、もしかしたら、実際のところ、貝塚は両区にまたがっているなどしていて、単に大田区側の証左(文書や貝層)には、まだ遭遇していないだけかも知れません。モースは、大森貝塚では、貝殻のみならず、石器や縄文土器、人骨や獣骨を発掘し、それらを体系的に整理してゆく科学的アプローチを日本にもたらし、それを通じて新しい知見が得られています。また、日本各地を巡り、当時の日本人の文化や生活にも興味を抱き、陶磁器や民芸品、風習を収集し、日本民俗学にも大きく貢献しています。モースは来日の翌年、東大教授に就任し、当時の東大の外国人教授の大半が研究実績のない宣教師ばかりだったことに呆れ、専門知識を持つ外国人教授の来日に尽力したとも言われています。モースが斡旋した教授たちの中には、哲学者フェノロサも含まれています(フェノロサは、当時、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていたことに危機感を抱き、賛否あるものの法隆寺夢殿に安置されていた絶対秘仏「救世観音」を開扉させ、長さ約460mに及ぶ白布を解き、像を露わにさせました。仏教に帰依し、三井寺(滋賀県大津市)で受戒。本人の遺志により、三井寺の子院である法明院に分骨されています)。
大森駅から大森貝塚公園に向かう途中のビルとビルの隙間から線路脇へ降りて行きます。線路脇のこんなところに⁈という場所です。貝塚公園とは区もまたぐのですね。目的は貝塚公園でしたが、こちらも訪れる事が出来よかったかなと思います。
モース博士が、明治10年(1877)に横浜から新橋に向かう車窓から「大森貝塚」を発見したことは良く知られています。線路際に「大森貝墟の碑」が建てられています。貝塚があった場所です。NTTデータ大森山王ビルの裏手で、分かりづらい場所ですが、大通り(池上通り)にある「国史跡 大森貝塚入口」表示が目印です。碑には「貝塚」ではなく、「貝墟」と刻まれています。「貝墟」は、聞いたことが無い言葉です。石碑下部の英語は、”Relic of Omori Shell Mound”(大森貝塚の遺跡)となってます。
なんとも皮肉の効いた史跡である。貝塚に対抗して貝墟と名付けたのだろう。しかし、実際に出土があったのは貝塚であり貝墟は空虚な存在となってしまった。モースが発掘場所を明示しなかったので、嘘をついた訳ではない。だが、品川区に対抗して碑を建てたのならば、虚しさを感じずにはいられなかった。
大森貝塚の石碑があります。TTデータのビルの中。意外に電車が接近して見れるスポットで撮り鉄にはなかなかオススメの場所かもしれませんね。エドワードモースはここを見て貝塚を発見したのかところで大森貝塚は発見されて今年で145年だそうです。まさかここまで海だったなんて。このあたりまで土地を埋め立ててるなんて人間は凄い鉄道が150周年ですから、それより5年前に発見したということですね。モースは鉄道に乗って発見したと行ってましたから、時系列的には試運転の時に発見したのでしょうか。
細い道を通って、ビルの裏側へ行くと大きな碑をを見ることができます。でもあるのはそれだけ。夏場は蚊に刺されるので気をつけてください。すぐ横がJR線なので電車の写真が撮れるかな。
| 名前 |
大森貝墟の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3777-1070 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/sannou/oomorikaiduka.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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大森貝塚の碑の1/2サイズのレプリカが歩道沿いにあります。そこからビルの間を抜けた線路沿いに碑が建っています。見学時間は9時〜5時の間となっています。