鎌倉七福神、寿老人の祈り。
妙隆寺の特徴
鎌倉市小町にある、鎌倉七福神の寿老人を祀るお寺です。
鎌倉幕府の御家人千葉胤貞によって建立された歴史ある寺院です。
落ち着いた雰囲気で、手書き御朱印をいただける訪れる価値のあるお寺です。
訪問日:2024/02/13「妙」が付く寺の中では人が少なめ。解説版、「有力御家人・千葉氏の屋敷跡…」。千葉の猪鼻城を訪問したときに聴いた名前だ。さらに読み進めていく。第二祖(2代目か?)の日親上人は「…将軍・足利義教の悪政を戒めましたが、弾圧され、数々の拷問を受けました。ついには焼けた鍋をかぶせられたので『鍋かむり日親』とよばれました。」なかなかきつい仕打ち。鍋をかぶった後どうなったか気になったが、言及なしのよう。解説は続く。「本堂前右手の池は、日親上人が寒中、百日間水行を…」日親上人の人となりがよくわかる解説書きだ。他者に物をいうだけでなく、自分にも厳しい。 そんな濃密な人生とは対照的に、現在も残る池を含め境内は静寂此れより他無し。水行から800年以上、上人なき池の元気は、ない。
鎌倉駅・東口から徒歩10分くらい。場所は若宮大路に面している清川病院の裏手にあたります。鶴岡八幡宮の「二の鳥居」の所にあるファミリーマート横の道を入り、突き当り(小町大路)を左へ進んだ左側にありますが、道から少し奥まった所にあり、目立つ標識等もないので注意してください。小さなお寺で、一通り境内を散策するのに10分もかからないでしょう。鎌倉 江の島七福神のうち寿老人(じゅろうじん)を祭っており、本堂に向かって右側にある小さなお堂に寿老人が安置されています。このお堂の裏手に並んでいる石塔は、歴代住職のお墓と伝わっているそう。妙隆寺(みょうりゅうじ)は鎌倉幕府の有力御家人、千葉常胤(ちば つねたね)の子孫である千葉胤貞(ちば たねさだ)が1385年に日英(にちえい)を開山として、祖先の冥福を祈るために別邸があった所に建立しました。日英の甥にあたる二世住職、日親(にっしん)ゆかりのお寺。日親は室町幕府 第6代将軍、足利義教(あしかが よしのり)の日蓮宗への改宗を試み、1440年(永享12年)に「立正治国論」を提出しましたが、投獄され、舌先を切り取られたり、真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられるなど、さまざまな拷問をうけました。そのため「鍋かむり日親」と呼ばれ、本堂のすぐ右手前の池は、日親が寒中、100日間の厳しい水行をしたとされる池で「行(ぎょう)の池」と呼ばれています。御朱印は「寿老人」のほか「日親上人」があり、御首題もいただけるとの事です。
鎌倉時代、この周辺の主だった千葉胤貞が日英上人を迎えて建立したお寺だそうです。第二祖の日親上人が室町幕府六代将軍 足利義教の悪政を戒めたところ、弾圧を受けて焼けた鍋を被せられて「鍋かむり日親」と呼ばれるようになったとのことです。境内に鍋かむり地蔵様がおられます。御朱印も丁寧にご対応いただきました♪
元は鎌倉幕府の御家人千葉氏の屋敷跡で、1385年に千葉一族の千葉胤貞が日英上人を迎え建立、第二祖の日親上人は室町幕府第6代将軍の時代に弾圧され、焼けた鍋を被せられる拷問を受け、鍋被り日親と云われ、境内には日親上人の石碑と祠内に石像が在ります。他にも鹿にまたがった江の島七福神の寿老人の欅の一本作りの像が在ります。この通りには日蓮宗の寺院が沢山並んで居ます。
鎌倉駅から宝戒寺に向かう途中にあります。若宮大路を一本入った裏道から入るんですが、歩道が狭い割にけっこう交通量が多いので気をつけて歩いてください。七福神の寿老人と鹿の石像がカワイかったです。参拝時間は2分といったところ。それにしても、この辺は日蓮宗のお寺、多いですねぇ。
日蓮宗のお寺です。江ノ島七福神の寿老人をお祀りしています。御朱印も丁寧に対応してくださいました。
小町大路の日蓮上人辻説法跡最寄りの日蓮宗寺院で鍋冠の日親上人ゆかりのお寺さんです。日親上人は法難で役人から火で熱した鍋を頭から冠らされたと本で読んだ記憶があります。お詣りの後に御首題をお願いした処、直書きで丁寧な対応ありがとうございました。
鎌倉末期~南北朝時代の武将・千葉胤貞が自分の屋敷地に創建した日蓮宗寺院。旧本山は千葉県市川市の中山法華経寺。法華経寺も胤貞が支援して創建した寺で、千葉氏被官富木氏の屋敷跡に建てられた(今も土塁跡が残っている)。胤貞は千葉市宗家の地位をめぐって同族の貞胤と争ったが、途中で病没してしまった。墓地には新劇俳優で戦時中の移動劇団桜隊を指揮し、広島で被爆して亡くなった丸山定夫の墓碑がある。桜隊の悲劇は新藤兼人監督の映画「さくら隊散る」で描かれている。
叡昌山妙隆寺といい日蓮宗のお寺になります。旧本山は中山法華経寺で、御本尊は釈迦牟尼仏(千葉胤貞の念持仏と伝わる)になります。鎌倉幕府の有力後家人であった千葉常胤の子孫胤貞の別邸と伝えられていて、一般には「千葉屋敷」とも呼ばれています。妙隆寺は胤貞が祖先追福のため、至徳二年(1385年)七堂伽藍を建立して妙隆寺を創建し中山法華経寺の日英上人を迎えたと伝えられるお寺。鍋かむりで知られる日親上人所縁のお寺です、日親上人は室町時代の日蓮宗の僧で「不受不施義」を唱えた僧、拷問で真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられるなどした、その後鍋が取れる事がなかったため「鍋かぶり上人」・「鍋かぶり日親」と呼ばれた。
名前 |
妙隆寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-23-3195 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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鎌倉七福神の一つ。境内には本殿と寿老人を祀る社があり、日親上人が修行したという池がある。参拝料も必要なく、変に観光地感もない落ち着いた寺社。