平安の歴史を感じる築城。
中野城山居館跡の特徴
平安時代に築かれた独特の歴史を持つ砦です。
平忠常や太田道灌にまつわる重要な史跡です。
説明板が充実しており、歴史を学べる場所です。
平将門が籠ったともいう中野城山はマンション建設までは土塁があったとも聞いています。
築城は説があり平安時代に千葉氏の祖である平忠常太田道灌の砦。1576年北条家家臣の堀江氏が治めている。
説明板があり、下のように書かれてました。 この辺りは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅5.4mほどの土塁が残っていました。延宝三年(1675)の村の記録には「中野村のうちに900坪ほど土手を築き、空堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこはもともと名主・堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、今は年貢地になり、代々卯右衛門が所持している。」とみえています。 堀江氏は天正四年(1576)戦国大名後北条氏領中野五郷を治める小代官を務め、次いで豊臣秀吉の指令もうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であった事が考えられます。湧水のある中野川の谷戸をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦跡、あるいは豊島氏と戦った太田道灌の陣地「道灌砦」跡などともいわれています。
現在は谷戸運動公園になっています。城の痕跡は何も残っていません。
名前 |
中野城山居館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.6 |
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広場の入口に看板だけです(´Д`)