鎌倉十橋の筋替橋、隠れた名所。
筋替橋(鎌倉十橋)跡の特徴
鎌倉十橋の一つで、歴史的な石碑が存在しています。
筋替橋周辺は旭屋という和菓子屋の向かいに位置しています。
現在は川がなく、暗渠となっている珍しい場所です。
鎌倉十橋の一つで、こちらの橋の名の由来は横大路にむかって、斜めに掛けられていたからだとのことです。ちなみに、城郭にかかる橋で、横矢をかけられるように、門から向かって斜めに架けられた橋のことは「筋違橋」と言うそうです。現在は川が暗渠になっているため橋はなく、下を流れていたのは八幡宮近辺の山から流れ出し、滑川に合流する南御門川だそうです。石碑は、ちょうど道路がカーブしているところにあって、車を運転しているときは、全く気が付きませんでした。鎌倉は歩いてみると意外とたくさん石碑がありますね。
筋替橋、本来は「すじかいばし」と読むが、近年「すじかえばし」と呼ばれる事も多い。しかし、中世の表記に「須地賀江橋」とも見られるので、時代により変化していると思われる。宝治合戦のおり、三浦邸(現在の横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校敷地内)に「安達景盛」が攻め込んだ際に陣を引いた場所と吾妻鏡に記載されている。
写真のみです。
なかなか分かりにくい所にあります。もう何も残っていません。時代の流れですね。
旭屋さんという和菓子屋の向かいに立っていますが、この辺を通るたびに探していたのですがなかなか見つからず… とてもわかりやすいところにあるのに、向かいの和菓子屋さんがつい気になって、何度も見落としてしまいやっと見つけることができました。
鎌倉十橋の「筋替橋」現在川はなく、暗渠となっています。自動販売機の前あたりに石碑があります。手前は宝戒寺、横大路方面。直進すると金沢街道を浄明寺方面へといきます。石碑の右下の道標に「東北方源頼朝邸址」 「南約一町北条邸址」と刻まれています。◆鎌倉幕府の中心地に架かる橋 鶴岡八幡宮の北側、横浜国立大学附属小中学校の近くにあり、現在は暗渠(あんきょ)となっています。横大路、小町大路、六浦道(金沢街道)が交差する場所にあるのが筋替橋です。鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』にもたびたび登場します。鎌倉十橋は、夷堂橋(えびすどうばし)、歌ノ橋(うたのはし)、逆川橋(さかがわばし)、筋替橋(すじかえばし)、裁許橋(さいきょばし)、十王堂橋(じゅうおうどうばし)、勝ノ橋(かつのはし)、針麿橋(はりすりばし)、琵琶橋(びわばし)、乱橋(みだればし)参考:鎌倉タイム。
名前 |
筋替橋(鎌倉十橋)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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石碑があるのみ。