源義経の首洗い井戸、伝説を訪ねて。
伝 義経首洗井戸の特徴
源義経の首を洗った井戸で、歴史的な伝承が残る場所です。
住宅地にひっそりと佇む公園のような空間で静かにお参りできます。
春には桜やシキミの花が咲き、季節の移ろいを感じられます。
鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟源義経の首を洗い清めたと言われる井戸。藤沢市藤沢本町駅にほど近い住宅街の小さな公園に首塚とともにひっそりと置かれている。1189年奥州平泉で最後を遂げた義経の首は頼朝により建てられた五重塔供養と重なったため自刃から一月半ほど経った6月13日になってやっと腰越の浜で首実検が行われた。その後捨てられた首は堺川を遡りこの地にたどり着き里人によりこの井戸で洗い清められたという。少しわかりにくい場所にありますが藤沢本町駅から旧東海道 467号線に出て藤沢駅方面に進み白旗交差点のすぐ先藤沢本町白旗交番の横の路地を入れば突き当たりの公園内にあるのでそれほど迷うことはないと思います。白旗神社にお参りなど近くを訪れたときは思い半ばでその人生を終えた1人の戦国武将の無念さを思い出しそっと手を合わせてみるのもいいのではと思います。
白旗交差点近くの白旗交番の細い横道を入ると右手に現れます。義経を祀った白旗神社の参拝後にでも寄ると良いでしょう。
源義経は頼朝に追われ奥州に逃げて居ましたが、1189年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。腰越(鎌倉市)で首実験の後に浜に捨てられた義経の首は潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められた伝えられています。なんともむなしい感です。
小田急線藤沢本町駅からは、歩いて5分もかからない所にあります。国道467号線沿いに歩いていると「伝 義経首洗井戸」と案内柱があり、国道から少し入ったところにあります。民家の間に井戸を囲んで不思議な空間が現れ、小さな公園として残っています。地元の人は、代々この場所を大切に守ってきたのだなぁと歴史を肌で感じれる場所です。
金の亀に乗って義経の首が飛んできた、その首を洗った井戸とのことです。国道467号(旧東海道)から少し入った、小さな公園の端に有ります。白旗神社と合わせての見学を勧めます。なんか切ないというか複雑な気持ちになります。
白旗神社の社務所の下に地図があり、旧東海道の交差点を左折すると街道脇に道標があった。交番らしくない交番の細い路地の奥、小さな公園の片隅にそれはひっそりとあった。歴史は勝者の歴史と言うが、小さなお堂は欲しい所である。
てっきり義経さんの首塚は、白幡神社に有るもんだと思っていたら、こちらに有ったんですねぇ。井戸の中は、落ち葉の隙間から僅かに水面が見えたので、枯れては無いようです。
自分はどういうわけか義経初め例えば新田義貞、八幡太郎義家などに縁が深いものです......今から相当前にこのすぐそばに住む友達に何気無く連れてこられたのがこの首洗い井戸との縁始めでした.....ここから北に40mのところにかつて義経の首塚があって今は伊藤ビルの下になってしまっていますがかつてこのビルの南側の部屋、おそらく義経の首塚あたりに位置するであろう部屋に住んでいた方とも偶然職場で一緒に働いたこともあります.....まぁ、単なる偶然かもしれませんがこの他にも色々こうしたことがあり誠に不思議な気分にはなります。司馬遼太郎先生曰く日本史の軍事的天才はこの義経と信長の二人だけだとおっしゃっています❗️義経始め源氏の人達と縁があるのかそれとも単なる偶然なのかわかりませんが私はかつて日本列島に生きたこの人達が大好きです。現住所は新田義貞が鎌倉攻めをした時の戦場跡の洲崎の古戦場跡近くのマンションに住んでいます🎵又その洲崎の古戦場のすぐそばの旗立山は後三年の役の時に八幡太郎義家がその山に目印の旗を立てて兵を集めて東北に向かった山です。
路地の突き当たりにある公園にひっそりと有ります。
名前 |
伝 義経首洗井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://fujisawashuku-kouryukan.com/kyutoukaido/osusume/16-osusume.html |
評価 |
3.7 |
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吾妻鏡には語られていませんが、伝説では、海中に棄てられた首が潮に乗って境川をさかのぼり、現在の白旗神社の鎮座地近くに流れ着き、拾い上げた村人によって洗い清められ手厚く葬られたといいます。