歴史を感じる藤沢宿の本陣。
藤沢宿 蒔田本陣跡の特徴
藤沢宿 蒔田本陣跡は、東海道53次の6番目の宿にあたります。
蒔田源右衛門が勤めた歴史ある本陣の場所です。
道路側の設置されている案内板が目印です。
旧東海道踏破チャレンジ2025
歩道の道路側に設置されていて、うっかり見過ごしてしまいそうになりました。
ふじさわ宿交流館の資料によると「本陣というのは、宮家、公家、大名が休泊した施設で、13間あり、一般庶民は休泊できませんでした。江戸時代初期は大久保町の堀内家が藤沢宿の本陣でしたが、類焼のため坂戸町の蒔田家が明治三年まで約百二十年間その要職にありました。総坪数約400坪、門構え庭園等があり堂々たる家でしたが、現在は妙善寺にその墓域を残すのみとなってしまいました。藤沢宿には、享和三年(1703)当時で、本陣1軒、脇本陣2軒、旅篭46軒がありました」とのことです。いまは、当時の面影はあまり残っていませんが、歩いて、資料を調べていると当時の風情がよみがえってくるようです。歩道の変圧器に浮世絵や当時の写真を掲載するのって、面白い試みですね。ぶらぶら歩きながら眺めるのも楽しいです。
恥ずかしながら、藤沢が宿場町だとは知りませんでしたが、藤沢市。人口およそ44万人のわりに、(ほぼ同規模の町田と比べて)落ち着いているのは、このあたりの事情があるのかも?風情があって、良かったです。知り尽くしているつもりでも、意外と知らない藤沢。市中心部・藤沢駅界隈と、鵠沼、片瀬海岸付近、亀井野の畑を経て位置する 離れ小島みたいな市街地・湘南台、大和に近い長後などなど、多彩な顔を持っていますので、藤沢は広い、とも言えます。(2021/10/30)
蒔田本陣は蒔田源右衛門がが勤めた本陣で、東海道53次の6番目の宿で ある藤沢宿の本陣。外交使節として日本を訪れた朝鮮通信使も国賓待遇の 使節ということで、蒔田本陣に宿泊した記録があるとのことです。
往時を想像して楽しみたいですね。
路上の案内板以外は特にそれらしきものは残っていませんでした。
多分、見落としてしまいます。
名前 |
藤沢宿 蒔田本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://fujisawashuku-kouryukan.com/kyutoukaido/osusume/11-osusume.html |
評価 |
3.6 |
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今は看板しかありませんが、歴史を感じるところです。